~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅵ-Ⅱ』 ~ ~

 
== 『女 人 平 家 (下) 』 ==
著 者:古家 信子
発 行 所:朝日新聞社
 
平 家 の 怨 霊 (四)
京都を大地震が襲ったのは元歴二年(1185)七月九日晴天下のうまの刻(正午)だった。この年三月二十四日に壇ノ浦で平家滅亡、それから百五日後がこの日であった。
妖しき地鳴りがひびくとたちまち大地揺り動いて止まず裂けた地割れからは水が噴き出し、洛中の建物は皇居も公卿、庶民の家も、神社仏閣ことごとく崩れ、或は斜めに傾いた。
七条邸の亡き修理しゅり大夫だいぶ信隆が堅固に建てたその邸宅も柱が音を立てて揺れ動き遣戸やりど、妻戸、障子(襖)もはずれて飛び倒れる・・・幸い七条院(殖子)は守貞親王を伴って皇居内裏だいりにおもむかれての留守で母屋に仕える人々はお供して不在だった。
北廂の間から隆清と安良井や家従に守られていひ早く庭へ避難した典子が、
「信清殿は御出仕のお留守中、あちらの北の方と若たちを早う」
と声をかけるその時もう信清の室睦子h幼い忠信と一つちがいの女児、乳母や侍女を連れて姑の許に集まった。こうして全員無事らしいので一同胸撫でおろしたが、踏み立つ大地は余震の揺り返しで庭前の花粒をゆたかにつけた紅萩のくさむらが異様に波打つ。そのまだ揺れる庭土の上にせめて屋内や畳や円座を運び出したいと雑色たちが屋内に駆け入ろうとすると今にも崩れ落ちるような音がして邸宅が波の上の船のごとくゆらぐ。
「わが敷く畳のために人の命は失えぬ。それよりも牛車を庭に取り出して据えれば雨露をしのぐに役立とう。
この典子の思いつきで牛飼童や舎人とねりが二台の牛車を庭へ引き出してしじに長柄を支えるとたちまち屋根のある御簾を垂れた避難所となった。その一台に典子と隆清、もう一台は信清室とその子たちの仮舎となってまずホッとした安良井は家従雑色たちと力を合わせて、建物の内外に飛び散った遣戸類を庭に運び囲いにしてともかく危険な屋内に入らず過ごせる避難所を設けた。
やがて日暮に近く余震の揺り返しが遠間になるにつれて心も落ち着くと安良井の指図で台盤所の土間から手の届く限りの食料を取り出し夕餉を調えようとする頃、信清が供の家臣と共にようやく辿り帰って現れた。
手頼たのもしい方が現れたので一同元気百倍して典子も信清室も牛車の御簾を巻き上げて顔を向けるのに信清は、
「このおお地震いなにも、わが邸には母上おわすからにはまずまず臨機の御処置あろうと安堵いたしておりました」
賢い継母を信頼している信清の言葉に少し面映おもはゆい典子が、
「いえ、いえ、仕える者いずれも心ばえすぐれて一人の怪我人もなく仕合せいたしました。して内裏はいかがでございましたか」
「初めの振動に西透廊すいろうが地に揺れ落ちましたが、主上を南庭の幕屋まくやにお迎えして御座所といたしました。女院(殖子)も二の宮も共にこちらと同じく庭上に据えたる牛車を仮屋となされました。また院(法皇)の御所にても庭上の樹下に御座あって御安泰とのことでございます」
「それにしてもつい先月よいやく野河の御所にお移りの建礼門院はこの大地震にいかがなされたかと案じられますがこの有様にては御様子を伺いに人をやることも出来かねますの」
典子が言う、
「信清もそれを御案じ申して居りますが幸い野河の御所はこのたび門院の御移徒により修理を加えましたばかりゆえ、粗末な民屋みんおくとことちがい形もなく崩れるとは思えませぬ。いずれ余震の納まり次第、明日にも御見舞いの使者を差し出します。何しろ今日の洛中は法勝寺の九重の搭も上の六重が欠け落ちました由、内裏よりこの邸までの途上もおおかたの家々は崩れてその下敷きに埋もれた人々もさぞ多かろうと胸も潰れる思いでございました。さりながら火桶を用いる冬の最中なりせば火災も生じ庶民の難儀はひとしおでございましたろうに・・・」
その通り季節は新涼に入ったばかりで、殊に当時は朝夕二食の習慣で真昼は炊事の要がなく家屋倒壊しても火の気がなかったのはせめてもの幸いであった。
── その日七条家の黄昏の庭では雑色の石で築いた仮の外かまどで非常時の炊出たきだしが始められたのを、牛車の中から典子は眺めながら心ひそかに今日の冷泉家はどうであろうかと思う。(祐さまはぜひとも無事でなけらばならぬ。隆房中将はたとえどうであろうとかまわぬが ──)と今も時折やんちゃな典子である。
一夜を庭上で明かした翌日もまだ余震の起きる道を七条家の家従は建礼門院へ届ける食料を持って野河の御所に辿り着くと、御所の古い土塀は崩れ落ちていたが、さすがに補強したばかりの建物は傾きもぜず、日野の姉の許から大納言佐も帰って門院の身辺に仕えていた。彼女は望みかなって日野で良人重衡とこの世の別れも告げられ、かねて用意の白の狩衣も良人に着せ形見の髪の毛も手にして、もはや思い残すことなく、やがては出家を志して門院の許に帰るとこの大地震にあったが、彼女も門院も現世の悲しみの限りを知った身には地震ぐらいを怖れもせぬ心境だった。
七条家より見舞いの家従に大納言佐は心地よげに言い放った。
「このおお地震ないこそ大相国(清盛)さま天の竜王となられて源氏の世へのお怒りを示されたのでございましょうぞ!」
2021/02/16