~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅵ-Ⅲ』 ~ ~

 
== 『 額 田 女 王 』 ==
著 者:井上 靖
発 行 所:㈱ 新 潮 社
 
わ だ つ み (1-06)
中大兄皇子と鎌足にとっては、初めから遣唐船派遣は規定の事実であったが、それが国を挙げての大事業である以上、すべての朝臣官吏の賛意を得ておく必要があった。中大兄にとっても、鎌足にとっても、それが大きい冒険であることはわかっていた。先進国の文明を摂取するためには、誰を派遣してもいいというものではなかった。それだけの見識と学識を持った人物を選ばねばならなかった。それも一人や二人ではない。各分野の人材を選んで、少なくとも一船に、何十人かを乗せることになるだろう。しかも、船は一艘ではおぼつかない。航海の危険を考えると、少なくとも二艘は必要になる。何艘でも多いほどいいわけだが、人の問題や、費用の点で、現在のところは二艘がぎりぎりの線である。その二艘の船に、何十人かずつの人材を詰め込んで大洋の潮の中に押し出すのである。
── あとは運任せである。
中大兄皇子は、この、跡は運任せであるという思いを、何回胸にかき抱いて、不安な思いに心を揺さぶらせたことであろう。遣唐船派遣のことが決定して以来、夜となく、昼となく、ふいに、何の前触れなしに、この思いはやって来た。
初め保守派の朝臣たちが力説したように、確かに今は一人の人材でも欲しい時であった。一人の人材でも大切にしなければならぬ時であった。その貴重な人材をごっそり船に積み込み、運任せで大洋へ船出させるのである。無事にその船が唐国からくにの岸に漂い着くか、着かないかは、誰にも判りはしないのである。
── あとは運任せである。
この思いだけが、確実なものとして、日に何回も中大兄皇子を見舞った。中大兄皇子はいつか一度、このことを鎌足に語ったことがあった。すると、
「臣の場合もまた一つの思いが、きもせず、毎日のようにやって参ります。深夜眼覚めた時にもやって参りますし、歩いている時にも、こうして皇子とお話ししている時にもやって参ります。時とところを構わず、いつその思いに見舞われるか判りません。ただ、臣を襲う思いは、皇子を見舞う思いとは少しだけ違うようでございます」
鎌足は言った。
「── しかも、なおやらねばならぬ、こういう思いでございます」
「── しかも、なおやれねばならぬ」
「左様でございます。皇子は、あとは運任せだとお考えになる。臣は、運任せであろうと、なかろうと、しかも、なおやらねばならぬ」
鎌足は言った。中大兄皇子は鎌足にやられたと思った。確かに鎌足の言う通りであった。今度の遣唐使の派遣は、運を天に任せる大きい冒険であった。併し、それでもなお、それはやらねばならぬことであるに違いなかった。
舒明じょめい二年の遣唐船派遣から、すでに二十年余経っていた。新しい政に唐の文物制度を取り入れたと言っても、それは二十年前のものである。唐国のこの二十年間の歩みがいかなるものかは、恐らくその国の土を踏まなければ判らないだろう。唐の今日の隆盛が二十年前のそれと同日には語れないことは、半島の朝貢使の語る言葉の端し端しにっても明らかである。
それから先進国の文明の輸入という問題とは別に、全くの政治的な意味から言っても、遣唐使の派遣は、この際ぜひ実現しておかなばならぬことであった。半島の新羅しらぎ百済くだら高句麗こうくり三国に対するいかなる認識も、大唐国の存在を無視しては成立たなかった。この点からだけ考えても、鎌足の言うように、遣唐船の派遣は、いかなる犠牲を払っても、なおやらねばならぬことであったのである。
2021/03/17
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