~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅵ-Ⅲ』 ~ ~

 
== 『 額 田 女 王 』 ==
著 者:井上 靖
発 行 所:㈱ 新 潮 社
 
わ だ つ み (2-08)
中大兄皇子は鎌足の口から出た短い言葉を聞いて顔色を変えたが、それは顔色を変えさせるだけのものを持った容易ならぬ言葉であった。遷都! ── 鎌足はこの際、都を大和に遷すことを奏請せよと囁いたのである。
差し当って、遷都しなければならぬ理由はなかった。ここ難波津に豊崎宮を営んでからまだ何ほども経っていない。新しい都は漸くにして形を整えかけただけの段階である。宮城こそ立派に出来上がっているが、緒官衙、朝臣百官の邸宅の造築は未だ半ばにも達していない。寺院も大部分は半造りである。大体肝心の都大路さえ満足には出来ていない有様である。今夜を日に継いで都造りの真っ最中である。
それにしても、朝臣も民も漸くにして難波津の都に生活の根を降ろそうとしていた。
気候にも風土にも馴れ親しみ始めている。それなのに、突然、その都を棄てて、再び大和に都を遷すということは、誰が考えても容易ならぬことであった。国を挙げて人心はために動揺し、政務の遅滞にいたっては計り知るべからざるものがあった。これまでに投入した莫大な都造りの費用を無駄にするは勿論のこと、経済的にも、労力的にも、また新しく一歩からやり直さなければならぬことになる。誰が聞いても狂人沙汰としか思わぬだろう。
併し、遷都という言葉を鎌足が口から出し、中大兄皇子の耳がそれを受け取った時、この二人の間だけでは、遷都と言う言葉は全く異なった意味を持っていた。鎌足としては都を遷すことに依って失うものと、それに依って得るものとを較べての上での献言であったし、中大兄としても瞬間その得失を計算した上での応諾であったのである。
「都を遷すことを奏請しても、主上はお諾き入れにはなるまい」
中大兄は、体を付けている鎌足に漸く聞き取れる低い声で言った。
「左様、遷都しなけらばならぬ理由がありませぬ以上、お諾き入れにならぬは当然」
鎌足も亦低い声で言った。
「お諾き入れにならぬことは承知の上で奏請する」
「左様」
「廟堂は二つに割れる」
「もともと二つに割れております」
「われわれは大和に還る。主上はお残りになる」
「左様」
「群臣百官はわれわれと行を共にする」
「左様」
「行を共にしない者もあう」
「いや、まず、ございますまい。二つに割れていた廟堂が一つにまとまることは必定、一人残らず皇子に随って大和へ還りましょう」
鎌足は言った。
「そうなって、初めて ──」
中大兄は言葉を切った。そうなって初めて政令は一処から出、人心は一新すると言いたかったのである。お気の毒ではあるが、幸徳天皇にはこの際政治から離れて戴かねばならぬ。いつかはそうして戴かねばならぬと思っていたが、今その時期は来たのである。大化の政変直後、中大兄は自ら即位すべきところを、代わって幸徳天皇に位に即いて戴き、阿倍倉梯麻呂と蘇我石川麻呂を左右大臣に任じた。謂ってみれば改新への第一歩を踏み出すに当たっての仮の政治体制であったのである。既に倉梯麻呂は病死し、石川麻呂は謀反の罪で自刃している。そして、今度は幸徳帝に政治からの退場を願わねばならぬ時期は来ているのである。こんど遣唐船問題で廟堂は二つに割れたが、このままでいる限り、二つに割れるのは、遣唐船問題に限らぬのである。
「大和に還って初めて ──」
その中大兄の言葉に対して、
「左様」
鎌足は頷いた。中大兄が言おうとしたことが判ったのか、判らないのか、鎌足は、併し、大きく頷いたのである。
「そうなれば、また、──」
こんども、中大兄はここで言葉を切った。そうなれば、大和地方の豪族たちを完全に手懐けることが出来ると言いたかったのである。難波津へ遷都以来、大和に散らばっている有力な氏族たちは、新政への協調に於いて兎角冷たい態度をとることが多く、それが新政下の一つの難しい問題となっているが、都を再び大和に還すことによって、こうした問題は解消するだろう。解消しないまでもその押さえにはなる筈である。豪族、氏族の中には、中大兄、鎌足の独断専行をこころよしとしていない者たちも居るのである。
「左様」
今度も亦鎌足は頷いた。二人には二人だけに判る言葉のやりとりがあった。他の誰にも判らぬ二人だけの特別の受け答えで、二人は時々話をする。それから暫く二人の間には沈黙が置かれたが、やがて、それを鎌足が破った。
「大和に還っても、主上がこちらにお出ででございますので、都は依然としてこの地ということになります」
鎌足は言って、
「大和の方は仮の行在所で我慢して戴かねばなりませぬ。緒官衙、百官の邸宅、みな仮のもので間に合せます。実際にそのようなことのための費用は節しなければならぬ現状でありますが、人心を引き締めるためにも、こうしたことも必要かと存じます」
「いかにも」
こんどは中大兄が言った。
「そして国の運命を賭けた大事業として、専ら遣唐船のことに当たります。政府の意気込みが官吏にも民にも伝わらぬ筈はありません。船へ乗り込む者たちの気構えも自ずから違って参りましょう。そうなって初めて船も大洋の荒波を乗り切れるというものであります」
鎌足は言った。
2021/03/25
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