~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅵ-Ⅲ』 ~ ~

 
== 『 額 田 女 王 』 ==
著 者:井上 靖
発 行 所:㈱ 新 潮 社
 
有 間 皇 子 (3-06)
その翌日、額田は衣服を改めて、戸外に出ると、有間皇子の館へと向かった。大勢の兵たちが館へ向かって歩いていた。兵たちの集団に混じって何人かの朝臣の顔も見えた。
額田が皇子の館の前に行った時、皇子は館から出るところだった。額田は兵たちの囲みを割って、兵たちの前へ出た。兵たちも今日は額田をさえぎることはなかった。何人かの朝臣たちが、それでも頭を下げて、皇子を迎えていた。見ると、そこには輿こしが置かれてあった。有間皇子はそれに乗り移るために館から姿を現したのである。
「皇子さま」
額田は声を掛けた。すると有間皇子は額田の方へ顔を向けた。狂っている人の顔ではなかった。今までに額田が見た一番静かな、冷静な皇子の顔であった。有間皇子はじっと額田の顔を見入るようにしていたが、
「天知る、赤兄あかえ知る」
と、ただそれだけ言った。ひとり言でつぶやくような、そんな言い方であった。
「皇子さま」
額田がまた呼びかけると、
「われ、全く知らず」
有間皇子はそれだけ言うと、仕丁じちょうの者が垂をめくり上げている輿の中へ、上半身をかがめて入った。垂れはすぐ降ろされた。
額田は頭を下げていた。輿は運ばれて行った。やがて、どこからか三ちょうの輿が運ばれて来て、そのあとにしたがった。守君大石、坂合部連薬、塩屋連鰂の三人が乗っている輿であった。叛逆者たちはこうしてどこともなく連れ去られて行った。そしてその四梃の輿のあとから、舎人新田部米麻呂とねりにいたべのこめまろが騎馬で出発した。何百人かの武装した兵が、そのあとに続いた。
こうした一隊が全く視野から姿を消すまで、額田はその場に立っていた。有間皇子は狂っていなかったのだという思いが、額田の顔から、今更ながら血を奪っていた。
狂心を装い、しかも装い切れなかった皇子が、あるいは狂心を装い、装ってもそれが無駄でしかなかった皇子が、額田には限りなく哀れに思えた。涙がほおを伝って流れた。
そして、額田が我に返った時は、周囲には誰も居なかった。額田は蘇我赤兄の顔を思い浮かべていた。今度の事件を造り上げた張本人は彼に違いないと思った。
── 天知る、赤兄知る、われ全く知らず。
有間皇子はそう言ったのである。額田は思わず身を震わせた。天皇、中大兄皇子なかのおおえのみこ大海人皇子おおあまのみこ鎌足かまたり、その全部が都を留守にしている時、この事件は起こったのである。留守官の蘇我赤兄に って引き起こされたのである。
併し、額田女王はそれ以上考えなかった。考えても無駄であった。赤絵に依って引き起こされたものであろうが、中大兄皇子がその背後で赤兄を操っていようが、そのようなことはどちらでもよかった。有間皇子は牟婁へ引き立てられて行ったのでる。皇子を舞っているものが、いかなる運命であるか、それはかないでも判っていた。
悲運に依って、玉のごとく飛び散る以外仕方なかった皇子は、いまその悲運に向かって旅立って行ったのである。
額田は疎林の中を歩いて行った。声には出さなかった。額田は歩きながら、ただ時折その細い白魚のような指を頬の所へ持って行き、それをそこに置いたままにしていた。
それから三日ほどして新しい噂が流れた。誰の心をも底から凍らせるような噂であった。最悪の事態はやって来たのである。有間皇子は紀の国の海岸の藤白坂ふじしろのさかくびられ、同じ日、塩屋連鯯魚、舎人新田部連米麻呂の二人も、同じ場所でられた。そして守君大石は上毛野国かみつけのくにに、坂合部連薬は尾張おわり国に流されたということであった。額田女王はもはや何を聞いても驚かなかった。来たるべきものがやって来たのである。
それから二日ほどして、額田は牟婁からやって来た女官の一人に依って、有間皇子が死を前にして作ったという二首の歌を示された。皇子が牟婁に引き立てられて行く途中、岩代いわしろというところを過ぎる時作った歌であるということであった。
磐白いはしろの 浜松が枝を 引き結び 真幸まさきくあらば またかへり見む
岩代の浜に生えている松の枝を結んで行くが、身の潔白が証明され、再び還って来る日があったら、この地を過ぎる時自分は自分が結んだ松の枝を見ることであろう。そのような日は果たして来るであろうか、来ないであろうか。
家にあれば に盛るいひ草枕くさまくら 旅にしあれば しひの葉に
家に居れば食器に盛って食べる飯であるが、こうして旅にある身は、いま、椎の葉に盛って食べている
額田は突き上げて来る大きな感動に身を任せていた。二首とも額田が今までに読んだことのないようなすぐれた歌であった。有間皇子はこの二首の歌を生むために、この世に生をけて来たのではなかと思われるほどの歌であった。額田は山道で小さい椎の葉を手にして飯を口に運んでいる皇子を、海岸で磯馴松そなれまつの枝を結んでいる皇子を、そうした皇子の姿を長いこと眼に浮かべていた。この世ならぬ美しく悲しい皇子の姿であった。悲運はこの二首の歌を生むために皇子を襲ったのに違いなかった。この歌からひびいて来るものはだれにもそのような思いをいだかせるものであった。歌の心は悲しみで満たされていたが、その悲しみは澄んでりんとしていた。
2021/04/14
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