~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅵ-Ⅲ』 ~ ~

 
== 『 額 田 女 王 』 ==
著 者:井上 靖
発 行 所:㈱ 新 潮 社
 
鬼 火 (3-08)
額田は中大兄皇子の妃たちの一団に、それとなく視線を投げた。倭姫王やまとのひめのおおきみ色夫古娘しきこぶこのいらつめ宅子娘やかこのいらつめ橘娘たちばなのいらつめ黒媛娘くろひめのいらつめ、ずらりと居並んでいる。こうした妃たちの中から一人を選ぶことは難しかった。しかし、もし大海人皇子が再びそこへやって来たら、躊躇ちゅうちょなく額田は答えただろう。
── それぞれに美しく優しい妃たちでございます。みな平等にお愛しになっておりましょう。お子さまにない倭姫王と申し上げても、また反対に第一皇子の御母である宅子娘と申し上げても、恐らく間違いにはならぬことでございましょう。しかし、現在一番お心にかかっている妃を挙げよと仰せになるなら、それはここにいらっしゃらぬ方でございます。亡きspan>造媛みやつこのひめのお名を挙げましょう。
額田は実際にそう思ったのである。こうしたことを、これまで一度も考えたことはなかったが、この時不意にこうした思いが、一つの確信の形でやって来たのであった。大田皇女、鸕野皇女、亡き建王の生母である造媛こそ、今も中大兄皇子の心の中に生きている妃ではないか。父石川麻呂の死を悲しんで自らもそのあとを追った妃の面影は、色々な形で、一生、中大兄皇子のまぶたの上に浮かんで来るであろう。
しかし、蘇我石川麻呂の娘で、中大兄の妃となったのは造媛ばかりではない。筑紫には来ていないが、姪娘めいのいらつめは造媛の妹に当たる女性であった。造媛は自らの生命を断ったが、この妃はどのような思いを持って中大兄皇子に仕えている事であろう。
このような見方をすれば、優しい妃として知られている橘娘もまた同じような立場にあった。阿倍倉梯麻呂あべのくらはしまろを父としているからである。阿倍倉梯麻呂は蘇我石川麻呂のような悲劇的生涯は閉じなかったが、やはり新政下に於いていつかは追われなければならなかった人物である。その点から言えばやはり新政の権力者たちから充分公平に遇されたとは言えない。
今宵こよいこの席には姿を見せていない妃たちに常陸娘ひたちのいらつめがある。有間皇子をざんしたと言われている蘇我赤兄を父として女性である。いかなる理由で、この席に姿を見せていないかは知らぬが、この席に無心では橘娘や、大田、鸕野皇女らちと同席することの出来ぬ立場にある妃と言っていいであろう。
こうした妃たちがそれぞれに皇女を生んでいる。現在は皇女たちを生んでいるが、将来皇子を生むかもしれないのである。
額田は不意に四辺あたりを見廻さずには居られぬような思いに駆られた。この時の方が、中大兄と鎌足の暗い宙に浮かんだ二つの面に眼を当てた時より、よほど不気味に思われた。そこにはそれぞれが、中大兄皇子、大海人皇子のちょうを己が身に集めようとしている妃たちが居た。それぞれ皇子や皇女たちを持っている。しかも、中大兄の皇女たちの二人は大海人皇子の妃になっているのである。ひどく手が混んだ織物のように、それぞれの立場がたて糸となり、横糸となって織りなされている。
額田は立ち上がると、そこから離れた。相変わらず月光は冷たく大地に降りそそいでいる。額田が宴席の方を振り返った丁度その時、中大兄皇子の座を立ち上がる姿が見えた。中大兄は鎌足と二人だけの時間に終止符を打って、ようやく月を眺めようと思ったのであろうか。額田は二つの妃たちの集団の間を通って縁先に立つ中大兄皇子の、遠くからでも逞しく見える姿に眼を当てていた。
すると、中大兄皇子のかたわらに、十市皇女が、ふらふらと寄り添って行くのが見えた。額田ははっとした。中大兄は十市皇女の肩に手をかけ、その顔をのぞき込むようにして何かを話している。
額田はそうした情景をかず眺めていた。そして、自分もまたそれぞれの立場がたて糸となり、横糸となっているすこぶる手の混んだ織物から無縁でないことを思い知らねばならなかった。 大海人皇子を父とした己が幼い娘が、中大兄皇子に眼をかけられるということはうれしいことに違いなかった。少なくとも眼をかけられぬよりいいことに違いなかった。やがて、十市皇女は長じたら、ここに居る今は幼い皇子の妃として選ばれるかも知れぬ。あるいはあの少年とは思えぬ堂々たる体躯を持った大友皇子の妃とならぬとも限らぬ。この思いは不意に額田を不安にした。あるいはまたさっき追ったり追いかけたりして遊び廻っていた高市皇子の妃として、選ばれるかも知れない。そういうことはないとは言えぬのである。この想像もまた、瞬間額田を不安にした。額田は十市皇女を見舞ういかなる運命が、十市皇女にとって幸福であるか見当がつかなかった。額田はそうした思いに身を任せていると、さっき十市皇女から受けた己が打撃など取るに足らぬ小さいもののような気がした。
いつか中大兄皇子の傍から十市皇女の姿は消え、代わってこんどは倭姫王の姿があった。静かで冷たく澄んだ 面輪おもわの妃で、三十四、五であろうか。新政の権力者たちから葬られた古人大兄ふるびとのおおえを父にしていることで、この妃もまた複雑な立場にあった。ただこの妃の他の妃たちと違う所は、中大兄との間に皇子も皇女ももうけていないことであった。この妃が今いかなる気持ちで、中大兄と共に月を仰いているかは、誰にも判らなかった。額田は、倭姫王が他の妃たちをさしいて、自ら中大兄の傍に寄り添って行ったことで、現在倭姫王の心に中に当主な自信が生れていることを知った。誰もがこのようにな振舞いが出来るわけのものではなかった。
額田は、この宴席が開かれた初め、中大兄皇子の妃である鸕野皇女から眼を離せなかったように、今はこの中大兄皇子の美しい妃の姿からも眼を他に移せなかった。そして、鸕野皇女の場合と同じように、今の額田の気持を素直に名付けるとしたら、やはりそれは嫉妬しっとというものであった。中大兄に対する愛を封じ、それを見事に果たし得ているという自信を持っていながら、こうした気持ちがどこから生れて来るものであるか、額田にも判らなかった。額田にとって、この妃たちの観月の宴は一つの事件であった。今は別れている大海人の妃に対しても、現在その寵を受けている中大兄の妃に対しても、同じような嫉妬の感情を持つ、女というものの不思議な心の動きを自分の心の中に発見せずにはいられなかった。そういう意味での一つの事件であった。
2021/05/17
Next