~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅵ-Ⅲ』 ~ ~

 
== 『 額 田 女 王 』 ==
著 者:井上 靖
発 行 所:㈱ 新 潮 社
 
水 城 (1-08)
こうしたちまたの噂は、額田女王の耳にも入っていた。この頃額田は王宮から離れた都の西北部の山際やまぎわに居を構えていた。敗戦責任者中大兄皇子が筑紫から大和へ還った時を境として、額田は王宮内の生活を打ち切っていたのである。中大兄皇子のかくされた思い者として、身を王宮に置くことは、どう考えても避けなければならぬことであった。中大兄、大海人両皇子の間にいささかもすきを生ずるようなことがあってはなたなかったし、また中大兄の大勢の妃たちの間では己が誇りを失わないで生きることも出来なかった。しかし、と言って、額田はそうした自分の考えを押し通していたわけではなかった。中大兄から召されると、どうしてもそれを振り払うことは出来なかった。中大兄の秘密の情人としての生活から足を洗うことは出来なかった。世間からも、朝臣たちからも、額田はどうしてもその正体のはっきりしないところのある特殊な女性として見られていた。依然として中大兄皇子の妃であると見ている者もあったし、かつてはそうであったにしても、現在はそういう関係にはないと見ている者もあった。それからまた額田を曽てそうであった如く大海人皇子の思い者と見ている者もあった。額田に対していかなる見方をするにせよ、人それぞれが、己が推測を推測とは思わず、こればかりは自分の見方が正しいと信じて疑わないところがあった。
実際にまた額田は、人にもそう思わせるようなものを持っていた。中大兄に皇子が王宮を出て、幾つかある離宮のいずれかに赴く時は、大抵皇子の一行の中に額田の姿を見ることが多かった。また大海人皇子の場合でも同じようなことが言えた。一時期額田は大海人皇子と一緒に居るところを人に見られるようなことはなかったが、筑紫を引き揚げて飛鳥に帰ってからは、屡々しばしばそうしたことが人も目についた。そうした二人は、だから特殊な関係にはないとも見られたし、だからやはり特殊な関係にあるともあるとも見られた。要するに正確な言い方をすれば、誰にも、額田と二人の皇子との関係は判らなかったのである。
額田は誰の眼にも明るく、自由に見えた。かりそめにも蔭の生活を持っているようには見えなかった。額田は時に悲しそうな表情をすることがあった。そうした時は、胸の中に底知れず深い悲しみの泉を持っているように見えたが、いざ悲しみの表情が消えたとなると、額田の顔は不思議に前より明るく見えた。悲しみは悲しみで大切に胸の中にしまわれてあり、それとは別に明るさは明るさで、やはり胸の中に大切にしまわれてあって、それが時と場合で、別々に取り出されて来るかのようであった。
しかし、そうした額田が、何とも言えずさびしい顔をしたことがあった。額田のかたわらに誰も居ず、額田ひとりの時のことである。
「── この大和から都をお遷しになる。この美しい大和から」
初めて遷都の噂を耳に入れた時、額田は誰にも見せたことにない絶え入りそうな淋しさを、この二、三年目立って豊かさを増して来た両の頬に走らせたのだった。額田は三十二歳になっていた。頬には悲しさは走らなかったが、淋しさは走った。
その日、額田は侍女を連れて、都大路を歩いた。行き交う男女はことごとく、一見して判る貴族の女のために、軽く頭を下げて、道を譲った。都大路はいつもよりにぎわっていた。やがて近く廃都として打ち棄てられるかも知れぬ都の、最後のときめきであり、賑わいであるように見えた。百済滅亡の折、この国に亡命して来た百済の男女が、はるばると東国へ下って行く日に当たり、そうした異族集団の移動を見物する人たちで、都は賑わっていた。百済人たちはこれまで完の費用で生活を保証されて来ていたが、これからは居を東国に移して、それぞれが生業を以て暮しを立てて行くということであった。
2021/05/31
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