~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅵ-Ⅳ』 ~ ~

 
== 『 人 間 の 証 明 』 ==
著 者:森村 誠一
発 行 所:㈱ 新 潮 社
 
エトランジェの死 (2-02)
棟居は、公園の闇に立った。都心とはとうてい思えない静けさである。車すら、エンジンの音を忍ばせて通り過ぎるようだ。夜気が冷たい。ここで、一人の外国人が胸に凶器を突き立てられた。とうてい惨劇の舞台とは思えない、高級住宅に囲まれた、都心の喧騒けんそうから切り離されたような一角である。
だが、それが犯人の安全を保障する絶好の隠れみのとなったわけである。アベックが目撃したという女は、果たして事件に関係があるのか? もし関係があるなら、日本人がからんでいることになる。いや、日本人が犯人かも知れない。
──被害者は、なぜロイヤルホテルへ向かったのか?──
── ロイヤルホテルを指さしてなぜストロー・ハット? と言ったのか ──
闇に同化したように棟居は立ち尽くして、思考の中にのめり込んだ。少し風が出て、頭上の梢が揺れた。揺れる樹葉の間からロイヤルホテルの光を満たした高僧建物が、巨大な不夜城のように隠見した。ほとんどすべての窓に灯がえている。さらに地上の投光機から噴き上げた光束が、銀を並べたような外壁を、闇に中にくっきりと浮き立たせている。
屋上のクーリングタワーの周囲を祭り灯籠どうろうのような連続した光のが取り巻いている。あすこがホテル呼び物の『スカイダイニング』である。美しくも、花やかな眺めであった。
棟居は異国の地で、胸を刺された人間が、あの光を満たしたホテルの建物を眺めた時の心情を想った。絶望の目に世界のすべての幸せを集めたような空中の食堂は、この世のものならぬ美しさに映ったであろう。
それは瀕死の被害者をきつけても不思議はないきらびやかな光の輪郭を、都心の夜空に刻んでいる。
「ストロ-・ハットか」
なにげなくつぶやいた棟居は、漫然と投げかけていた視線を固定させた。美しさに惹かれていた目が、特定の対象物に向ける凝視となった。
「あ、あれは・・・」
と叫びかけて後の言葉が続かなかい。屋上のクーリングタワーの周囲を土星の環のようにめぐる屋上レストランの窓のあかりの連なり。地上からの投光を受けたクーリングタワーを囲う三角柱の囲いが透けて、内部の円筒が銀色に輝いた。最上階レストランの灯が、光で織られた広いつばのように見える。それはさながら夜空に懸けられた、光で編んだ麦わら帽子であった。
夜間照明が夜の空に描いた光の造形である。
「そうか、そうだったのか」
棟居は、夜空の一点に視線を据えたまま、ひとりつぶやきつづけた。ジョニー・ヘイワードはやはり、ロイヤルホテルの最上階レストランに麦わら帽子を連想したのであろう。
彼にとってそれが何を意味するものか、まだわからないが、瀕死の体を引きずって行くほどの引力を持っていたことがはわかる。
公園に落ちていた麦わら帽子は、彼が運んで来た可能性が高い。刺殺体と麦わら帽子。
── この関係の中に事件のかぎがある。棟居は、闇の果てに一点の灯を見出みいだしたような目をして歩きだした。
2021/07/14