~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅵ-Ⅳ』 ~ ~

 
== 『 人 間 の 証 明 』 ==
著 者:森村 誠一
発 行 所:㈱ 新 潮 社
 
怨 恨 の 刻 印 (2-04)
棟居は、山路から郡陽平の関するアウトラインを聞いた。その郡陽平の後援会事務所のあるホテルへ八杉恭子が来ても、なんら不思議はない。
「それにしても八杉恭子は美人だな」
山路がため息をついた。
「いったいいくつなんですか?」
「四十代ということだがね。三十代後半に見えないこともないな」
「そんなにとしを食ってるんですか」
「驚いたろう。うちのワイフなんかいぃちも違わないのに、そろどろ“定年”になろyというのにな。まったく郡陽平は男みょうり利に尽きる奴だよ」
「最初から結婚してるんですか?」
「最初から?」
「つまり、再婚とかいうようなことではないのですか」
「そのへんのところは詳しくは知らんがね、大学へ行っている息子と娘がいるから、かなり以前に結婚してるんだろう」
「四十歳で、大学生の子供がいるとなると、ずいぶん早婚ですね」
「多少はサバを読んでるかもしれんがね、まあだいぶ前に結婚したことはたしかだな」
「どちらかの連れ子ということはありませんか」
「そんな話は聞いたことがないなあ。それにしてもいやにご執心じゃないか」
「ちょっと気になったもんですから」
「八杉恭子は、男なら誰でも気になるさ」
山路は勘違いした様子である。
ジィニー・ヘイワード殺害事件の捜査は膠着こうちゃく状態に入ったままであった。ICPOインターポール からもなんの連絡も来なかった。被害者の住所地を当たれと以来を受けた米国警察としても、事件は海を隔てた日本で発生しており、何を探るべきかよくわからないのであろう。
また被害者の現住所として表示されてあったのは、ニューヨークの悪名高い黒人街はーれむであり、日本で言えば山谷さんやかまヶ崎のドヤ街に浮浪者が仮の居所を置いていたような状況であったのかも知れない。仮の居所であるから、手がかりになるようなものも残されていない。もちろん身寄りの者もいない。
しかしもしそこが仮の居所であれば、どこかに本拠地(本籍地)があるはずである。だが米国からの最初の回答には、そのことについては一切触れられていなかった。
合成国家の米国にとっては、一人の黒人が異国で殺されようと、どうということはないのであろうか。ニューヨークは、殺人事件が珍しくない土地柄である。自国民が殺されたというのにその冷淡な態度は、捜査本部に影響せざるを得なかった。
だが、犯人は日本人かも知れないのである。いかに本国が冷淡であっても捜査の手を抜くわけにはいかなかった。捜査本部では、九月十三日、被害者が入国した日、羽田空港から東京ビジネスホテルまで彼を運んだタクシーの割り出しにつとめていた。
東京には現在法人タクシーが二万台、「個人」が一万六千台走っている。しかもジョニー・ヘイワードが羽田からタクシーに乗ったという保証はないのだ。しかしそれだけがおま捜査本部に残されたかすかなトレースの糸口であった。
── 被害者はなぜ、東京ビジネスホテルへ行ったか?──
それを被害者を乗せた(かも知れない)タクシーが知っている可能性がある。
2021/07/29
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