~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅵ-Ⅳ』 ~ ~

 
== 『 人 間 の 証 明 』 ==
著 者:森村 誠一
発 行 所:㈱ 新 潮 社
 
過去をつなぐ橋 (3-01)
捜査本部が新たな的を得たのとほぼ時を同じくして、ニューヨーク市警からも新情報がもたらされた。
それは、ジョニーの父親、ウィルシャー・ヘイワードが自ら金持ちの車に接触して得た賠償金をもって、ジョニーの来日費用に充てた疑いがあるというものであった。
父親が一命を犠牲にして、息子の旅費をつくったというのである。
「それほどまでにして、なぜジョニーを日本へ送らなければならなかったのか?」
父子ともすでに死亡しているので、もはや当人たちから聞き出すことは出来ない。しかしジョニーの来日にはなにか切実な目的があったようである。霧積を探れば、それもわかるかも知れない。捜査本部の空気は、久しぶりに昂揚こうようした。

霧積温泉は、群馬と長野の県境を走る碓氷のみねに抱かれたひなびた山峡の温泉である。行政上は群馬県松井田まついだ町に属する。
交通公社発行の案内書には ── 霧積川の上流、標高千百八十メートルの高所にあって、軽井沢よりも二百十メートル高く、碓氷嶺の後を回る山紫水明境で、とくに一帯の山々が紅葉する秋がよい。またキャンプ地としてもよい。温泉から徒歩一時間半の鼻曲はなまがり山の紅葉も美しい。── と簡単に記されてある。
泉質は石膏せっこう苦味泉くみせんで、外傷や動脈硬化、神経痛、婦人病、胃腸病などに効能があるそうである。
交通としては、信越線横川からバスで行き、さらに徒歩九キロ、約三時間とある。
「三時間も歩くのか」
「いまどきそんな山奥の温泉があるのかね」
捜査員たちは、びっくりした顔を見合わせた。霧積には旅館が二軒ある。とりあえず電話で問い合わせると、古い方の宿の『金湯きんとう館』に早速反応があった。
西条八十の「麦わら帽子の詩」は、作者が生前、霧積に遊んだ時を懐かしんでうたったもので、金湯館では宿泊客や立ち寄るハイカーのためにつくる弁当を包む紙に、その詩を刷り込んでいたという。
ジョニー・ヘイワードがかかわりをもっているとすれば、『金湯館』のほうが可能性が高い。棟居と横渡の二人が出張を命じられた。

一方では、小田山が発見した「熊のシミ」の分析結果が出ていた。シミは人血、血液型はABO式でAO型、MN式でM型と判定された。それは文枝の血液型に符合した。
彼らの推測は、不幸にも的中したのである。小山田は自力であつめたデータを警察へ持ち込んだ。警察もこれだけ具体的な資料を持って来られたのでは、単純な「家出人の捜査」ではすまされなくなった。
改めて、熊の縫いぐるみが発見されたK市「鳥居前」一帯に専門家による丹念な検索が行われた。だが、犯行からかなり日数が経過しているために、犯跡が薄れていて、なかなかめぼしいものが引っかかって来なかった。
2021/09/01
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