~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅵ-Ⅳ』 ~ ~

 
== 『 人 間 の 証 明 』 ==
著 者:森村 誠一
発 行 所:㈱ 新 潮 社
 
おもかげの母 (3-01)
ケンは三島雪子から借り出したウィルシャー・ヘイワードの写真を見て驚いた。だがその驚きに長く浸っていられなかった。写真を見て彼は一つの疑問を持ったのである。
それはこれまで考えてもみなかった疑問であった。ケンはその疑問を確かめるためにもう一度市の中央登録所へ行った。そこでウィルシャーの妻であったテレサ・ノーウッドの戸籍を調べた。テレサの祖父母は1910年代に南部から流入して来た黒人であり、両親も黒人である。ハーレムには1943年から住んでいる。
一方、ウィルシャー・ヘイワードも、純然たる黒人である。登録所のレジスターをさかのぼって調べても、白人や東洋人の血は入っていない。三代以前となると、彼らの郷里である南部まで調べなければならないが、人間扱いをされなかった南部の黒人のレジスターが他所へ流出後も残っていようとは思えない。もともと、アメリカには戸籍という観念はなく、日本の家単位の戸籍は、個人単位のレジスターになる。個人および、夫婦単位でレジスタされるので、それを見ても、その両親が誰だかわからない。つまり親子という縦の関係ではなく、個人という点か、夫婦という横の関係で身許みもとを考える。
このような制度下で、先祖をたぐるのはきわめて難しい。それにテレサとウィルシャーの出生も、国勢調査によって強制的に届け出られたものである。おそらく彼ら自身も原籍がどこにあるか、知らないであろう。
だが、ジィニー・ヘイワードは、ケンのこれまでの聞き込みによると、純粋の黒人ではないようであった。ジョニーの最後の勤め先だった運送会社で見せてもらった写真も、黒人にしては色が浅く、顔立ちも東洋人に近かった。
黒人と白人、あるいはプエルトリコやイタリア系との混血も多い。だが東洋人との混血は比較的少ない。「ジョニーの父親は、兵役で日本へ行ったことがある。もしかすると、ジョニーは?」
新たな視野が目の前に開けつつあった。しかしジョニーは父母が結婚して約十か月後の1950年10月に出生したことになっている。父親がジョニーを日本から連れて来られるはずがないのである
── もしウィルシャーが出生月日を偽って届け出たら? ──
別の可能性が、頭にひらめいた。現在、出生の届け出は、それに立ち会った医師の証明書を添付しなければならないことになっているが、スラム街では医師の助けを借りずに産む者が多いので、「止むを得ない事情がある」として、医師の証明書を免除する。
今より二十数年も前の終戦直後の混沌こんとんとした時代に於いては、戸籍上の手続きがはるかに杜撰ずさんであったことが想像できる。出生月日を数年ずらせて届け出ることも容易であったであろう。とにかく本人の届け出だけを信用して受け付けるのであるから、いくらでも虚偽や不実の記載が出来る。
ジョニー・ヘイワードは日本で生まれたとする。何かの事情があって母親と別れ、ジョニーだけ父親に伴われてアメリカへ来た。帰国後父親は結婚した。その際、父親はジィニーを夫婦の間に生れた子にするために、出生月日を偽って届け出たということも十分に考えられる。
「すると、ジョニーは日本の母親に会いに行ったのかも知れない」
アル中で廃人同様になったウィルシャーは、自分の死期の近いのを悟って息子に「日本の母」のことを話した。あるいはジョニーはとうに自分の本当の母親を知っていたかも知れない。
ウィルシャーは生きていたところでどうせ長くない。アルコールに毒された身体は、社会の何の役にも立たず、息子の重荷になるだけであるる。そこでウィルシャーは、自分の身体を“廃物利用”して、息子を日本の母に会わせるために、旅費をつくってやったのだ。
ケンは自分の推測に自信を持った。
「その母に会いに行って日本で、殺されてしまった。可哀想な奴だな」
ケンはその時初めて、異郷で客死した未知の黒人青年にあわれみをおぼえた。いや、ジョニーにとって日本は異郷ではなかった。文字通り“母国”であったのだ。その母の国で彼は殺された。
彼は、母に会えたのであろうか? いやおそらく彼女に会う前に殺されたのだろう。
母親がジョニーの死を知ったら大騒ぎをするはずである。おそらく母親も、ジョニーが日本へ訪ねて来たことを知らないのだろう。
そこまで推理の橋を架けて来たケンは、強いショックでも受けたかのように身体をこわばらせた。橋の先が一つの恐ろしい想像に突き当たったのである。
「まさか!」
ケンは凝然と宙をにらんでうめいた。
2021/10/05
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