~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅵ-Ⅳ』 ~ ~

 
== 『 人 間 の 証 明 』 ==
著 者:森村 誠一
発 行 所:㈱ 新 潮 社
 
救われざる動機 (2-04)
「わかったわよ」
彼女は、電話口で息せき切って言った。
「えっ、もうわかったのか?」
棟居もまさかこんなに早く返事が返って来るとは面ってもいなかった。
「九月十七日は自宅に居たらしいんだけで、はっきりした証拠がないのよ」
「自宅に居たのか」
「なんにも記録がないんだもの」
「そんな記録がとってあるのかい?」
「外へ出た時の記録はちゃんととってあるので、記録のないときが、自宅に居たことになるの」
「それで十月二十三日のほうはどうだった?」
「こちらの方は記録があったわ」
「えっ、あったか、それでどこへ行ってたんだ?」
「その日の前日の二十一日に御主人の郡先生の講演会が高崎市で開かれて、奥さんも一緒に従いて行ってるわ」
「なに! 高崎だって!?」
棟居は思わず高い声を出した。
「びっくりするじゃない。いきなり大きな声を出して」
「いやあ、ごめん。ところでそれは群馬県の高崎だろうね」
「群馬県の他にも、高崎という所があるの?」
「ないはずだ。それはたしかなんだろうね」
「たしかよ、郡先生のスケジュール表に記録されていたんですもの」
「そうか、君は郡陽平の事務所に居るんだったな」
棟居は、この情報の重大な意味を見つめた。高崎から横川まで三十キロそこそこの距離である。中山種が霧積ダムで死んだ前日、八杉恭子はそこからわずか三十キロの高崎に行っていたのだ。
「十月二十一日の夜は高崎に泊まっているか? それとも日帰りで帰って来たかわからないか?」
「泊まってるわ。講演は高崎市民会館で午後三時からと七時からの二回に分けて行っているわ。その後市民有志と懇談して、その夜の宿舎烏川ホテルに引き上げると記録してあるわ」
「よくそこまで調べてくれたね、有難う」
「ううん、私、こういうこと大好きなのよ。私、探偵にばれるかしら?」
「その辺で止めておいた方が無難だろうね」
「私、本当はもっと知っているのよ」
新子が含みのある言い方になった。
「何を知っているんだ」
「同じ日に、松井田町のダムから、中山種というお婆さんが落ちて死んでるわね」
「・・・・」
「このお婆さん、刑事さんが八尾へ調べに来た谷井種さんと同じ人でしょ」
「君って人は・・・」
「松井田だったら、高崎から目と鼻の先だわ」
「君はすばらしい探偵だということがよくわかった。でも、それ以上踏み込んではいけない」
「これからもこういう調べがあったらどんどん使ってちょうだい。喜んでお役に立つわよ」
谷井新子はひどく張り切っていた。
2021/11/01
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