~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅵ-Ⅴ』 ~ ~

 
== 『 叛 乱 』 (上) ==
著 者:立野 信之
発 行 所:㈱ぺりかん社
 
第四章 このうえ何が起こるかわからない
第四章 (8-03)
「父は、御維新の時、賊潘の名を帯びたことを非常に残念がって、子供の私に、つねに『陛下の御傍らにあるを思って御奉公し、日本に生をうけた者は、何一つ自分の物はない、食物も着物もすべて時が来れば天子様におぁえしお返し申し上げるのだ』と教えられ、これが自分の根本思想となって居ります」
相沢の語調は急に熱を帯び、語るというよりは叫ぶような調子になった。
「天皇は、天地創造の大神の身代わりであります・・・!」
その時、裁判長が隣りの判士と、ちょっと囁きを交わした。
すると相沢は右手に持った軍帽を高く振り上げ、裁判長に向って、
「どうぞ、しっかり聞いていただきたく思います。ウロウロされると申し上げにくくあります!」とたしなめた。
杉原法務官が、それに対して何か言おうとした。すると、今度は杉原に向って、
「静かに聞け!」と怒鳴りつけた。
相沢の気迫に押されて、一瞬、法廷の空気が凝固した。
相沢は軍帽をおろして、直立不動の姿勢に返った。
「天皇は、天地創造の大神の身代わりであります!」
もう一度言って、法廷も割れるような大声でつづけた。
「万世一系、天壌無窮であることは、定まっている原理であります。大御心の不易であることを考えると、大宇宙の本源は陛下の御実体であらせられます。大君は古今東西、過去現在未来にわたって絶対であります。私は、いたずらな欲望は、人間の本性でないと思っとります。大御心の間に坐らなければなりません。大神と人間とは無窮の距るがあり、君民の区別は絶対であります・・・!」
それからの相沢は共産主義と無政府主義を信奉する人間の心の迷いを説き、最後に、
「・・・畢竟ひっきょうするに、現世界は大御心の無窮の御情けに浴してこそ進歩するものであります」
そう相沢一流の世界観の陳述を結んだ。
「被告の思想の感化は、父に受けたものと見られるがどうだ?」杉原法務官が聞いた。
「父は旧白川藩士で、永らく裁判所書紀をして居りましたが、勤王の志厚く、非常に頑固者だったので、世に容れず区裁判所監察書紀を最後に職を退き、公証人となったもので、私はこの父の忠君愛国の思想に感化されて、幼少の頃から軍人を志願して居りました・・・その他、陸軍士官学校でも色々の教えを受けました」
「禅については、どうか」
「禅のことについては、少し言うことがあります」
相沢は姿勢を正して、
「自分が、東久邇宮殿下の御伴をして仙台の松島瑞巌寺へ行った時、殿下には中隊将校に、『禅は国家のためにやるべきものだ』と仰せられましたので、自分はこれに感じて禅をやるようになりました。自分は仙台市で有名な輪王寺の無外和尚の門を叩いた所、『とうてい辛抱出来るものではないから』と断られました。が、志を曲げず、和尚に頼み込んで輪王寺に止宿し、約三年間、軍務の余暇を割いて参禅して自己を解脱し、一身御奉公の修養を続けたのであります。その後、和尚の紹介で、東北帝大総長北条時敏先生の許に書生となって住み込み、先生並びに先生夫人から非常な感化を受け、更に肚の修行をつづけました」
「なお信念について、語り残していることはないか」
杉原法務官がたずねると、相沢はきっとなって、大声を張り上げ、
「昭和革新をやるべきこと・・・!」
滔滔と述べかけたのを、法務官に遮られて、中止した。
佐藤裁判長が代わってたずねた。
「仙台の和尚とは、いまなお交渉があるのか」
すると相沢はハッとしたように顔をあげて裁判長をみつめたが、すぐ顔を伏せた。泣き出したのだ。大粒の涙がポタポタと足許に落ちるのが、傍聴席から見えた。
「・・・決行後、二回、面会に来られました」
相沢は涙声で、低く答えた。
「一番心に残った教えは、何か」
裁判長が重ねて訊ねると、相沢は涙にぬれた顔をあげ、きっとした面持ちで、
「尊王絶対であります」とまた喚くような大声で言った。「あらゆるものは尊王絶対でなければなりません。軍人は今こそ幾分なりとも懺悔して、天皇の赤子に立ち還れ・・・終り!」
こうして午前中の第一回公判の審理は終わった。
2022/01/21
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