~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅵ-Ⅴ』 ~ ~

 
== 『 叛 乱 』 (上) ==
著 者:立野 信之
発 行 所:㈱ぺりかん社
 
第七章 二十六日朝ダト都合ガ良イト云ッテ居マス
第七章 (5-03)
それから二人はロンドン条約その他の統帥権干犯問題について、関係者として斎藤実、鈴木貫太郎、一木喜徳郎、阿倍信行大将、南次郎大将など、また重臣ブロックを動かしている財閥として、池田や有賀などの財界人を証人として、喚問することまどを懇談した。
そんな話が一通り終わった後で、亀川が聞いた。
「青年将校の動きは、どうですか」
「どうも、近く飛び出しそうです」
西田は率直に打ち明けた。
「そうですか」亀川は西田をみつめたまま、ちょっと呼吸をとめていたが、「・・・今日、実は真崎さんに、青年将校が飛び出すかも知れんと話して、どんな事情が生じても、青年将校を見殺しにはしないで貰いたい、と頼んだんです。そしたら大将曰く・・・この年寄りを困らせないように、若い者らに話してもらいたい」
「いや、真崎という人は、思慮の深い人です・・・相当な人物ですよ」
西田はそう言って、何べんも自分で肯いた。
それから西田は、亀川に問われるままに、青年将校が定めている襲撃目標について、ほぼ想像される人達の名前を一通り挙げた。
すると亀川は、
「西園寺までやる必要はないだろう」と反対の口吻をもらした。「西園寺をやってしまっては、あとの混乱が大きすぎる。あの人はもう老体だが、我々の希望する政治形態にするためのロボットぐらいには使える人だから・・・そのためにも残しておいたら、どうかなあ」
「西園寺を残す? そりゃ、いかんです」西田はムキになって言った。「あの老人こそ。ロンドン条約以来の政治悪の元兇ではないですか・・・あれを討たなければ、意味をばさない!」
西田の言葉が思いの外強かったので、亀川はそれ以上は西園寺問題に言及しなかった。間もなく、亀川は帰って行った。
玄関まで見送って、西田が応接室に引き返すと、妻の初子が立っていた。
「八時頃、あなたと入れ違いに磯部さんが見えて、これを置いてお帰りになりました」
初子は机の上に乗せてあった封筒を取りあげて、夫に渡した。
西田は、急いで封を切った。中からは小さな紙片が出て、それにたった一行 ──
  『二十六日朝ダト都合ガ良イト云ッテ居マス』
とだけ書かれてあった。
西田は小柄な体な細君をかえりみて、
「磯部君は、何か言ってたか」と、たずねた。
「言ってました・・・奥さん、二十六日に決まりましたよ」
「そうか・・・」
西田は溜息と一緒に呟いて、時計を見た。十二時をすぎていた。
西田は、もう一度溜息をついた。── 今夜はもう遅い・・・いまからジタバタしてもダメだ。
「おい、もう遅いから寝よう・・・」
西田は細君を促して、先に寝床に入った。
2022/03/02