~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅵ-Ⅴ』 ~ ~

 
== 『 叛 乱 』 (下) ==
著 者:立野 信之
発 行 所:㈱ぺりかん社
 
第十三章  この事件が落着する前後から、日本はたいへんな面に突入する
第十三章 (6-02)
磯部の生命を賭しての闘争に手を焼いた当局は、一憲兵将校を刑務所へ派遣し、磯部を慰撫いぶさせようとした。だが、死刑の宣告を受けて死に直面している彼は、一憲兵将校の慰撫や威嚇などは、問題にしなかった。
万策尽きた憲兵将校は最後、
「いま何を求めているのか」とだずねた。
すると磯部は昂然と顔をあげて、
「ちょっとでも隙があったら、ここから脱出したいん」
「逃げて、何をするのか」
憲兵将校が追及すると、磯部は人を袈裟懸けに斬る真似をして、
「寺内輩を成敗するんだ!」と答えた。
磯部のその果敢な闘争にも拘らず、真崎大将は「証拠不十分」で不起訴となり、北、西田の両名は、予定通り「死刑」の宣告を受けた。
判決を言渡された時、西田が裁判官に対して何か発言しようと身振りをしたが、かたわらの北に制せられ、二人は無言で裁判官に一礼して静かに退廷した。
北の弟で代議士の昤吉が面会に赴くと、北は重い口を開いて、一言言った。
「この事件が落着する前後から、日本は大変な面に突入する ──」
北の予言は的中した。それから間もなく、七月十六日 ── 蘆溝橋事件が突発し、日本は中国との戦争に突入したのだ。そしてそれは日本帝国主義軍閥の予定の行動であった。
磯部、村中につづいて、北と、西田の二人が処刑された八月十九日は、よく晴れた暑い日であった。
二人はジリジリ照りつける太陽をあび、地熱のむっとする刑場の壕の中に立たされた。一人は背が高く、一人は低い。
「われわれも、天皇陛下万歳を三唱しましょうか」
目隠しのまま、背の高い西田が北に話しかけた。
小柄な北は、その身体の割に大きな頭をかしげてちょっと考える風をしたが、
「いや、わたしはやめます」
北は頭をまっすぐのばした。
銃声が重々しく鳴り、白煙が風に流れた。
2023/03/22
── 完 ──