~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅵ-Ⅶ』 ~ ~

 
== 『 青 年 の 樹 』 ==
著 者:石原 慎太郎
発 行 所:河出書房新社
 

青年の樹 (01-181)
三人がたてた計画通り、改築され、塗り直された建物に「カワキタ」のネオン入りの新しい看板が洒落ていた。
軒先を埋めて並んだ花輪の中に一際大きく辰川の親分と和久組の花輪がある。
お師匠さんの家での身支度に追われた武馬と悠子をみんなが待っていてくれていた。香世も明子も、お師匠さんも、辰川の親分も、和久も鬼面の辰も、そして繁岡先生も。
悠子の手を引くようにし武馬は店に入った。その手に、学生服に似合わず黒檀のステッキが握られている。
悠子と香世と明子は、互いに迎えるように微笑し合った。
一斉に乾杯と万歳が挙げられた。その後、すっかり上機嫌の辰川親分が立ち上がった。
「私はもう年寄りだが、この新しい店が好きだ。が何よりも、ここに集まっている若い新しい人たちが好きだ。この店はみなさんが自分たちの力で作り上げたものだ。この店があなた方の手で盛んにつづいていく限り、私はこの世間にはっきり希望が持てるような気がする。どうか頑張って下さいよ」
香世の挨拶の後、和久につつかれて武馬は立ち上がった。
「何か言う代わりに、僕は死んだ父の遺言をもう一度ここで読みます。そしてその遺言に従うことを誓い直します」
武馬は杖を置き、懐から達之助の遺言を取り出した。
「── いつにあっても、自分のしたことを自ら納得出来る、己に誠実な人間になれ。妥協のない誠実さで自分と、他人につくす人間となれ ──」
武馬は声を上げて読んだ。

「おい、ライスカレー!」
早くも下で若いお客の声がしている。
「俺は、サンドイッチ」
「へい、毎度有りがとう」
まだ馴れぬ店員に代わって、奥からはっぱをかけるように答えているのは鬼面の辰だった。
「開店早々の店てのは気持がいいな」
「や、こいつあ安いぜ。メニューを見ろよ」
「どうぞ、ごひいきに」
すかさず辰さんが言った。

その声に一寸の間耳を澄ましてにやりと笑うと、武馬は声を上げて尚読みつづけた。
「── 本当の青年になれ。そうしていつまでも青年でおれ。お前にそれだけのことを希む ──」
2022/08/03
== 完 ==