~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅵ-Ⅹ』 ~ ~

 
== 『 動 乱 』 ==
著 者:辻 尾  耕 平
発 行 所:新 風 舎
 
 
 
 
 
朝倉へ Prt-01
越前敦賀の金ヶ崎。義秋ら一行は直接朝倉の居城一乗谷へは向わず、この地で足を止めている。金ヶ崎は越前南端に位置し、朝倉領への入口にも当たる。到着した義秋を朝倉義景の代官として影鏡かげあきらが出迎えた五日目の十三日には、大覚寺義俊を関東に派遣して、北条・上杉の和睦を斡旋させ、輝虎には再度の上洛をうながし、この身をすべて任せるとまで言い切っていた。義秋とすれば、なおこの地で輝虎を待つ未練を捨て切らなかったと言えた。
越前はもう秋も深くなって来ており、吹く風もどことなく肌寒い。
「いつまでも、上杉がことを頼っていても詮なきことにござりまする。このうえは、一日も早く義景が居城一乗谷に向われ、朝倉が力で上洛を果しましょうぞ」
と、藤長や藤孝はそのように言いたい気持ちを持っていた。
しかし、奈良一乗院から無理やりに連れ出したことと、和田。矢島・後瀬とのわけのわからぬままの義秋を、半ば強引に導いて来た負い目も二人にはあくまでも輝虎を頼りたいとする義秋の気持を、無下に退けることも出来かねた。
「輝虎はいま南下して来ている。能登と加賀の一揆が片付けば、かならずや京に兵をむけるであろう」
義秋は、はるか越後の空に目を向けて、自己自身にでも言い聞かすかのように何度もつぶやいてみせた。
織田が木下秀吉の戦功により、西美濃長良川の彼岸墨俣すのまたに砦を築き、ここを根拠として龍興の居城稲葉山攻略のきっかけをつくったのは、この秋のことであった。西の毛利も宿敵尼子あまこ
しかし、逆に上杉は武田の猛攻にあい、西上野の重要拠点、箕輪みのわ城を喪失するという苦しい状況下にあり、決して義秋の思い通りになるような状態ではなかった。これから頼ろうとする朝倉も、加賀の一向一揆に長年苦しめられつづけてりる。それではと、義秋は一向宗の総本山本願寺顕如けんにょに朝倉との和議を命じる筆をとっていた。
上杉ばかりではなく、武田・北条・織田・朝倉・斎藤など、天下に名を成す大名たちがこれまで義秋の書に対しては丁重なる返答を返している。時期将軍たる義秋の名であるならば、本願寺などはすぐにもその意に頷くであろうとタカをくくっていたが、結果は、顕如に一蹴され、おおいに体面を傷つけられることとなった。
「さてこそ、一向宗とは、それほどまでに力のあるものかや」
自身が僧侶の身であったことを思い合わせ、将軍の力にも屈せぬ顕如にあきれた表情を見せていた。
越前の冬は寒気するどく、晴れの日はまれであり、ほとんどが陰鬱な雪空の毎日であった。
義秋はこんp金ヶ崎の地で永禄十年の正月を迎えた。三日前から降り続いている雪は、この日も止まず、あたり一面は白一色の世界であった。
足利義親が義栄と改名し、十五位左馬頭に任ぜられたとの和田惟政からの報せは、昼過ぎあたりにもたらされた。
「まことのことかや、それは」
年賀を祝す朝倉からの使者として景鏡があいさつを述べて帰った後のくつろぎに、とよにたたせた茶を喫していた義秋は、思わす椀を置き、そう一色藤長に糾していた。
報せの者の口上をさらにくわしく述べる藤長に対して、
「けしからぬことよのう」
と、今度はやや唇をくやしそうにゆがめ、目を先程愛でていた雪景色に向けた。
三好に擁されていたとはいえ、義親の位はまだまだ将軍になれるものではなかった。それが、我が身が越前の地でもたついている間に、同列になっやことになる。
刻とともに、義秋の表情にこわばりが生じて来た。
「ゆるせぬことじゃ」
ついに義秋はそんな言葉を吐くと、いらだたしげに部屋中をぐるぐるとせわしげに歩き廻り、
「藤孝や藤英、惟政によく申せ。ただちに輝虎には使者を向け、朝倉朝倉義景には早々身を一乗谷へ迎え、上洛の準備を始めるようにとな」
甲高い声で義秋は、子供のようにわめきだしていた。
2023/04/01
Next