~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅶ-Ⅱ』 ~ ~

 
== 『 燃 え よ 劍 ・上 』 ==
著 者:司馬 遼太郎
発 行 所:㈱ 新  潮  社
 
 
 
 
 
疫 病 神 Part-05
「それは無理でしょう」
「なにが、無理ですかな、山南さん」
と、横から言ったのは、歳三である。
歳三はもともとこういう冷遇や差別に耐えられない性格である。清河一派に腹が立ったのではなく、大流儀育ちの山南敬介の口の利き方が気に入らない。
「いや、土方君、おちこぼれと」いうこともある。むこうの手落ちだ」
「両君、議論はよしたまえ。ところで山南君、その浪士組というのは、旗本にお取り立てになるということか」
「いや、それは」
と、山南はかぶりを振った。山南は、単純な剣客ではない。当時の知識人の普通の思想として攘夷論者であった。その意見公式的だが、動悸は単純でもある。
「旗本になるとかならぬとかいうことではなく、大和武士やまとぶし(当時の流行語。割拠意識から脱け出し、汎武士はんぶしといったような意味)として、異国を撃ち払う攘夷断行の先手さきてにこの浪士組にはなります」
「しかし、いずれは直参じきさんになれような」
近藤は、単純明快でひどく古風である。近藤の考え方では、これは戦国時代の牢人ろうにんが戦があれば知るをたよって大名の陣を借り(陣借り)、働き次第では取り立ててもらえるという徳川以前の風習があやまにうかんだのだ。
「歳、どうする」
近藤は、嬉しそうな顔をした。近藤にすれば、本心では、直参になれようがなれまいが、どちらでもいい。
このままでは道場がいよいよ窮乏し、ついには全員が食えなくなる。道場主としての経営難が、これで一挙に解決するのである。
「どうだ、歳」
「加盟するとすれば、天然理心流の試衛館はつぶれることになる。事が重大すぎるから、他流儀の山南さん御同席の前では、ちっとまずかろう」
歳三の意地の悪いところだ。きらいとなれば、その男が地上から消えるまで我慢できない執拗しつようさがある。
大先生ごいんきょ(周斎)がいらっしゃる。ここでとやかく論ずるより、まずその御意見を聞くことだ」
「よかろう」
近藤は、すぐ養父の周斎老人に話した。周斎は年寄りだから時勢がわからない。だから山南流の主義や思想で説くよりも、
将来すえは直参になれます」
と、一言で説明した。周斎はそのひとことでわかった。
「わしは直参とのさまの御隠居になれるわけだな」
そのあと、近藤は、道場に、門人と食客を集合させ、山南に説明させた。
「やるか!」
と踊り上がったのは、食客原田左之助である。食える、だけではない。この男は戦うために生まれて来たような男なのだ。戦国時代なら、槍で千石二千石は楽に稼ぎ出す武者であったろう。
「沖田君、どうだ」
と近藤は言った。
「私ですか。私は近藤先生と土方さんのくところなら地獄でも行きますよ。もっとも、極楽の方が結構ですがね」
「井上君は?」
「参ります」
と、この近藤道場では、先代から用人同然の内弟子として仕えている温和な井上源三郎が、ぼそりと言った。
「斎藤君」
「加盟します。ただし整理すべきことがあり明石に戻らねばなりませんので、結盟には遅れるかも知れません」
「永倉君、藤堂君は」
「武士として千載一遇の好機です。加盟します」
あとは不参加。
総勢、近藤、土方以下九人である。これで道場はつぶれたことになる。
幕府徴募の浪士組は、各道場の系統から応募三百人に及んだが、道場そのものがつぶれたのは試衛館だけであった。もっとも徴募による閉鎖と言うより、小石川で発生した麻疹はしかが潰した、といったほうが性格だが。
2023/07/29
Next