~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅶ-Ⅱ』 ~ ~

 
== 『 燃 え よ 劍 ・上 』 ==
著 者:司馬 遼太郎
発 行 所:㈱ 新  潮  社
 
 
 
 
 
紅 白 Part-05
屯営に帰り、数日考えてから、近藤は、伊東と訣別けつべつする肚をきめ、歳三にこの直参取り立ての一件を相談した。
「その話なら、先刻、耳に入っている」
と、歳三は言った。じつは近藤は帰洛きらくの途中、尾形俊太郎に洩らしたために、この情報は、隊中に知れわたっていた。
「歳も人が悪い。これほどいい話しが耳に入っていながら、なぜ私にただそうとせぬ」
「はて、いい話かね」
歳三は、ちょっと微笑った。
「請ければ、新選組は真二つに割れるよ。もう伊東一派などは騒いでいる。内海二郎がどいうやら長州にいる親分へ伺いの飛脚を立てたような形跡がある。あんたは、隊が割れてもいいというのか」
「義のためにはな」
近藤は、言った。
「一身の栄達のためではない。御直参として活躍する方が働きやすいとすれば、これは天下国家のためであるし、禁廷様のおんためでもある」
「ちかごろ、理屈が多くなったな」
歳三は、苦笑しながら、
「おれはね、近藤さん、新選組を強くする以外に考えちゃいねえ。隊士が、直参に取り立てられたがために強くなるようなら、喜んで請けるよ」
と言った。
「歳、お前は、単純で仕合せだなあ」
「ははあ」
歳三はあきれて近藤の顔をまじまじと見つめた。この、
国士
をもって老中から遇せられる男は、政治をぶつことが複雑だとちかごろ思い込んでいるらしい。
「そうかねえ。私は、これはこれで、ずいぶんとみ入って考えているつもりだが」
「いやいや、結構人けっこうじんだよ」
近藤は豪快に笑った。
「いっぺん、お前のようになってみてえ」
「そりァ、あんたは苦労が多いからね」
「多いとも」
歳三は、噴き出した。なんのかんの云っていながら、歳三は近藤のこういうところが大好きなのである。
「ところで」
と、歳三は真顔になった。
「直参になるには、その前にすることがあるだろう」
「伊東のことか」
「そう」
歳三は、うなずいた。
直参になれば、新選組が名実ともに佐幕に踏み切ったことになるのだ。天下の浪士の中で、ただひとり佐幕の旗をかかげることになる。伊東とその一派は、当然出て行くだろう。
が、隊法がある。黙って、出すか。それとも、結成以来、隊法をもって絶対としてきた鉄則を、伊東にもあてはめるか。
「どうするかね」
と歳三は訊いた。
近藤は、黙っている。やがて感情を押し殺したような、眠そうな表情で、
「局中法度はっとどおりだ。あの法度あるために新選組はここまで来ることが出来たし、こののちも、烏合うごうの衆に化することなく行うことが出来るだろう」
「さすがだ。あんたもまだ性根を失っていない」
「ところで」
近藤は、歳三の顔をのぞきこんだ。
{お前、女が出来たそうだな」
「ちがう」
歳三は、狼狽ろうばいした。事実、お雪の家にはあれから二度訪ねたきりだし、手も触れていない。
「ほほう、赤くなっている。めずらしいこともあるものだ」
近藤は、小さな声をたてて笑った。」
2023/10/14
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