~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅶ-Ⅲ』 ~ ~

== 現 代 語 訳『平 家 物 語 上』 ==

著 者:尾崎 士郎
発 行 所:株式会社 岩波書店
有 王 (三)  ♪
しかし、俊寛も漸く、有王の来訪を現実の事と覚って少しずつ話しを始めた。
「去年、少将や康頼入道に迎えの来た時にも、わしの所には、便りが一本もなかった。今、お前がこうやって訪ねて来てくれたのに、誰からも言伝てがないのか
有王の顔が次第に曇って、みるみるうちに涙が一筋、二筋と、頬を伝わって流れ落ちて来たが、とうとううつ伏せになったまま泣き伏してしまった。
俊寛は暗然たる面持ちで有王を眺めていた。一言も聞かぬ先から、彼は何事かがあったことを知ってしまったのである。
有王は、暫くして涙を押さえながら、途切れがちに話し始めた。
「貴方様が、西八条にお召し捕られたあと、それは恐ろしゅうございました。直ぐに追手の役人共が参り、ご家来の方々はほとんど捕らわれ、いろいろ責めさいなまれ、訊問じんもんされ、最後には一人残らず皆殺しでした、。奥方様は、若君様とこっそえり鞍馬の山奥に忍んでおられましたが、お訪ねする者もなく、私が時折、様子を伺いに参上いたしますと、いつでも、お話しは鬼界ヶ島の貴方様のことばかりで、とりわけ若君様には、有王よ、鬼界ヶ島に連れて行け、連れて行け、とおせがみになり、その度に奥方様と私、どうやっておなだめしてよいやら、途方に暮れるのでございましたが、去る二月、疱瘡ほうそうんが重くなられたままお亡くなりになってしまわれました。・・・奥方様は、あれやこれやと余りにお嘆きが多く、雄お床に伏す日も多くなり、とうとう若君様より一月遅れて」
語る有王も、今は涙を拭おうともしなかった。俊寛は、じっとうなだれたまま、時々肩を震わせている。
「姫御前お一人は、ご壮健にて、奈良のおば上の許においでで、この度もお文を頂いてまいりました」
有王が元結もとゆいから取り出した文を俊寛は大切そうにひもどいて、むさぼるように瞳をこらした。
「三人流されたうちのお二人はお戻りになったというのに、何故お父上はお帰りにならないのでしょう? 私が女の身でなかっらた、とっくにお父上のおられる島にまいりますのに、どうぞ有王をお供に一日も早くお帰り下さい」
まだ幼い筆跡の中に込められた願いが、痛々しかった。
「有王、どうじゃ、この文の子供っぽいこと、お前を供に早く帰って来いといいおるわい。わしの自由になる身ならば、何もわざわざ、こんな島に三年も暮しはせぬ。今年はたしか十二になるはずだと思うが、こんなに聞き分けがなくては、行末が案じられるのう、これで人の妻にもなり、宮仕えも出来るのだろうか?」
こんな逆境にあっても、やはり人の子の親である。娘の身を気遣う親心の悲しさである。
「この島に流されて、暦もないまま、自然の移り変わりを数えて三年みとせの月日を数えてきたが、今年六歳になっやと思っていた幼いせがれが、わしが家を出る時、「いっしょに行く」と言っていかなかったのを、何とかうまくだまして出て来てしまったのがついこの間の事のようだ。その子ももういないのか、全く、人目にも恥ずかしい暮しをしてまで生き長らえて来たのも、ただ一目、恋しい者達に逢いたかったまでのこと、この世にいないと聞けば、もうわしにも未練はなくなったよ。姫一人は心配だが、この子も、生きている身ならば、嘆きながらも暮らしていくだろう。この上おめおめ辛い目をみながら、生きてお前にまで憂き目をみせるのも辛いことじゃ」
俊寛は以来、それまでも少量しかとらなかった食事をぱったりやめてしまった。
毎日を念仏だけを称えながら、やがて有王が島に来てから二十三日目、三十七歳で世を去った。
有王は、死骸にとりすがって、嘆き悲しんだが、
「後世のお供もいたしたいのですが、姫君の事も気にかかりますし、後世を弔う人もござりませんから、暫く生きてご菩提を弔いましょう」
と庵を焼いて、なきがらを荼毘だびに付し、白骨を拾って箱におさめ、それを頸にかけると、再び商人船に乗って都に帰って来た。
早速、姫君の所に行き、始めからのことをこまごまと話した。
「貴方のお文は、くり返しくり返し読んでは、涙を流しておられ、一層、悲しい想いをつのらせていられたようで、お返事もどんなにかお書きになりたかったことと思いますが、すずりも紙もない所ではどうにもならなかったのですよ。たとえ、いく度生まれ変わっても、もう二度とお父上のお姿を見、お声も聞くことも出来なくなってしまったのです」
姫君は有王の話に、唯もう泣き伏して、声を立てて泣くのであった。
姫はそのまま、十二歳という幼い年で尼になり、奈良の法華寺で念仏三昧ざんまいの日を送って暮らした。
有王は俊寛の骨を高野の奥の院に納めたあと、出家し、主人の菩提を弔うため、全国修行の旅に立った。
2023/12/05
Next