~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅶ-Ⅲ』 ~ ~

== 現 代 語 訳『平 家 物 語 上』 ==

著 者:尾崎 士郎
発 行 所:株式会社 岩波書店
せい なんの きゅう  ♪
その頃内裏だいりの主上から、鳥羽殿にある法皇の許に、ひそかにお便りがあった。
「かような世になりましては、天皇の位にあっても何の意味がありましょうか? むしろ宇多法皇、花山法皇の例にもならい、出家して山林流浪の行者にでもなろうかと思います」
法皇はこれに対して直ぐにお返事をおつかわしになった。
「余りそのようにはお考えにならない方がよろしいでしょう。貴方がそうやって御位に即いていられるのも、私にとっては、一つの頼みなので、仰有おっしゃるように出家でもなさってしまわれたら、誰を頼りにしたらよいでしょうか? とにかくこの私が、どうにかなるのを見送ってからのことになすって下さい」
主上は法皇の返書を顔に押し当てて、涙ぐまれるのであった。
ご信任厚い公卿殿上人も、今は、死んだり殺されたりして、古くからお仕えする人で残っているのは、宰相入道さいしょうにゅうどう成頼、民部卿みんぶきょう入道親範にゅうどうちかのりの二人という淋しさであったが、この二人も、近頃の時勢に厭気がさし、出家の決心を固め、親範は大原、成頼は高野にと、それぞれ分け入って、静かな読経の日々を過ごす身となった。
二十一日、天台座主てんだいざす覚快かくかい法親王が、座主を辞任、変って再び前座主さきのざす明雲めいうん大僧正が座主になった。
ようやく思い通りに事も運び、関白には娘婿が就任し、後顧の憂いなしと見た清盛は、
「政務は主上のよろしいように」と言って福原に引き籠ってしまった。
宗盛がこの事を主上に言上するために参内すると、主上は、
「法皇自らがお譲りなされたものなら、喜んで政務も見ようが、そうでもないものには関りは持ちたくない。関白とお前とで好きなようにやるがよかろう」
という素気ないご返事であった。
城南離宮せいなんのりきゅう鳥羽殿とばどのに、冬も半ば近くをお過ごしになった法皇の日常は、わびしいという一言に尽きるものがあった。
雪の降り積もった庭には訪れる人もなくい、水の張りつめた池には鳥の羽ばたきも聞こえなった。大寺おおでらの鐘の音を聞いていると、白楽天の詩にある遺愛寺いあいじの鐘を聞く想いがし、又西山にしやまの雪景色は香炉峰こうろほうの眺めを思わせた。かつてはお耳に達したことのないようなきぬたの響き、道を行く人の足音、車のきしりなどを枕辺の近くに聞こえることもあり、雲井の上では及びもつかない下々の生活にも、思いをはせられることが多くなっていた。
何かにつけて思い出すのは、盛んなりし頃のいろいろのお遊び事、ご参詣の行事、又御賀おんがの儀式の盛大なさまなど、事々に涙の種とならないものはなかった。
そんな明け暮れのうちに、いつしか治承三年も暮て、新しい年がやって来た。
2023/12/19
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