~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅶ-Ⅲ』 ~ ~

== 現 代 語 訳『平 家 物 語 上』 ==

著 者:尾崎 士郎
発 行 所:株式会社 岩波書店
もつ  ♪
平家が福原へ都を移してから、どうしたことか清盛は妖怪変化へんげの類を見るようになった。さして体が悪いというのではないが、胸騒ぎがすえる。夢を見るたびにうなされる。
朝起きてみると汗をしたたるほどかいていることが多くなった。あるとき、清盛が寝所におり不図頭をめぐらすと、大きな目が清盛を睨む。思わず起き上がると、一間四方もある巨大な顔だけの化物が部屋の一方を壁のごとく占めて、寝所を覗き込んでいた。
強気の清盛がはっと睨み返すと、すうっと消えた。また、岡の御所というのは新築したばかりで、付近にも邸内にも巨木というものがないのに、ある夜轟然ごうぜんと大木が倒れる音が邸をゆるがす、と今度は凡そ二、三千人にもなろうか、人々がどっと笑う声が夜空に響き渡る。人々はおそれ、おののいた。天狗てんぐの仕業ではないか、というので警固の武士を揃えた。昼五十人、夜は百人の武士が蟇目ひきめの当番と名づけて、毎晩、威嚇の音高らかに矢を射させた。空に鳴る矢が天狗のいると覚しきあたりに風を切れば、物音はしないが、あらぬ方に向って斉射するとどっと笑いが虚空にひろがる、人々はわが耳を疑った。
またある朝、清盛が寝床から起きぬけて妻戸を押し開いて小庭の内を眺めると、こはいかに、死人の髑髏どくろが小庭を埋め尽くしている。やや、奇怪、と目を見張れば、その髑髏は上になり、下になり。骨と骨の触れ合う乾いた音が不気味に小庭に満ちみちている。
清盛は、
「誰かあるか、誰かあるか」
と怒鳴ったが、家来は一人も出て来ない。そのうちに互に上へ下へと動き廻る髑髏が、ゆあがて一つにかたまり、庭に溢れるほどの山になるとみるやたちまち一つの大髑髏に変った。虚ろな眼をかっと開き、歯をかすかに鳴らして清盛を見る。と大髑髏に何千何万の人の眼が現れ出でて、あたかも生きた人のように、うらめしそうに清盛を睨む。清盛は、しかし珍奇な見世物でもみるように平然としていたが、数万の眼が彼を睨めば清盛もきっと睨み返す。瞬間朝陽に溶ける霜のように跡形もなく髑髏は消えた。
入道は愛馬を持っていた。相模国の住人、大庭おおばの三郎景親かげちかが関東八カ国随一の馬として献上したもので、黒い毛並だが額が少し白い、そこで望月もちづきと呼ばれた名馬である。清盛はそれが気に入って第一のうまやに入れ、馬番を多数つけて大切にしていたが、鼠が望月の尾に巣をつくり子を生んだ。これはただごとではない、と占わせると、
「重き御慎おんつつしみ」
と出た。さすがの清盛も所有する気にもなれず、陰陽師おんようしの阿倍泰親に与えてしまったが、鼠が一夜に巣つくるのはを昔にもあった。天智天皇の御代に異国の凶賊の蜂起したことが「日本書紀」に見えている。
またげん中納言雅頼卿がらいのきょうのもとに使われている若侍が見たという夢は、実に不吉を極めた。
その夢とは、宮中の神祇官の庁舎とおぼしきところで貴人たちが評議をしていたが、そのとき平家の味方らしき末座の貴人を追い上座にある気品高い老人がいうには、
「近頃、平家があずかるところの節刀を取りもどし、伊豆の国の流人るにん前右兵衛佐さきのひょうえのすけ頼朝よりともに授けようぞ」
という。傍らの老人も進み出ると、
「その後はわが孫にも賜れ」
という。若侍が夢の中である翁にその意味を問うと、
「追われたる末座の貴人とおぼしきは厳島の大明神、節刀を頼朝に賜うといわれたのは八幡大菩薩である。またわが孫にも賜れというは春日の大明神である。わしか、わしは武内の明神じゃ」
という。余りにも奇怪と身もだえしたときに夢がさめたと若侍は人に語った。この話が人から人に伝わり、清盛の耳にとどいた。清盛の使者が立ち、雅頼に、若侍の話を詳細に聞いたから、当方へ差し出されたいと申し出た。しかしすでにかの若侍は、後難を恐れて逐電ちくでんして行方は誰も知らない。雅頼は清盛のところに参上して、そのような噂は作りごと、全く事実でありませぬ、と申したので、この夢の話は不問となった。
しかし奇妙というか、暗合というか、不思議なことが起った。清盛は枕もとから銀の蛭巻ひるまきをした小長刀こなぎなたを離さず、常に寝所に守り刀として置いていたが、ある夜急に消えた。盗まれたかと八方調べたが行方が知れぬ。この小長刀は清盛がまだ安芸守であったとき、厳島神社に参拝した折、霊夢があらわれて、現実にこの小長刀を大明神から授けられたものであった。この紛失は、清盛が勅命に背いたので取り返されたのであろうかと、噂されるようになった。
2024/02/01
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