列車の中は、ほとんど満員だった。最後部には吉村の姿はなかった。彼は二両目に移った。そこも満員だった。今西は、さらに次に移った。
このとき、初めて吉村の姿がホームとは反対側の座席にすわっているのが見えた。
今西の分の席を、彼はスーツケースを置いて、とってくれている。
「やあ」
と、今西が言うと、吉村は笑って手を上げた。
「君、いま新聞記者に見つからなかったかい?」
「いいえ、大丈夫です」
吉村は今西を隣の席にすわらせた。
「今西さんは見つかったのですか?」
「うん、ぼくは今そこでS新聞の奴に肩を叩かれたよ。おどろいた。仕方がないから、女房の郷里さとの新潟に行くと言っておいたがね。ちょっとひやりとしたよ」
「そうですか」
今西は、汽車が早く出てくれればいいと思った。とまっている間、また、誰かに発見されるような気がして落ちつかなかった。二人は、なるべくホームの方を見ないようにして、顔を線路側の窓に向けていた。発車のベルが鳴ったときは、正直にほっとした。
「この汽車は、本荘ほんじょうが七時半ごろだったな?」
今西は聞いた。
「そうです、七時四十七分です。それから、本荘で乗り換えて、亀田までニ十分かかります」
吉村は先輩に言った。
「君は東北の方に行ったことがあるのかい?」
「いいえ、一度もありません」
「ぼくも初めてだ。ね、吉村君、お互いに家族連れでゆっくりと旅したいものだな。いつもこんな出張ばかりで、たのしみというものがない」
「ぼくは、今西さんと違って女房はおりませんよ」
吉村は笑った。
「だから、どいんな出張でもいいです。ひとり旅の方がはるかに楽しいですよ」
「そうだろうね。ことに、今度はホシを連れて帰るわけじゃなし、張込みもないから、ずっと気が楽だよ」
「しかし、亀田という土地を発見したのは、今西さんだそうですが、もし、それが当たっていたら、金星ですね」
「当たっているかどうかわからないよ。よけいなことを言って旅費を使わせたといって、あとで主任に叱しかられるかもわからないからね」
二人は、しばらく雑談した。
近くに乗客がいるので、それきり捜査関係の話はやめた。
東北の方は初めてという二人は、十一時ごろまでは眠れなかった。暗い窓に疎まばらな人家の灯が流れて行く。夜で景色は何もわからなかったが、それでも、その闇やみの中から東北の匂においがしてくるような気がした。
夜が明けた頃が鶴岡つるおかだった。酒田さかたに着いたのが六時半だった。今西は早く目が覚めたが、隣の吉村は腕を組み、背中を後ろよりに倒して寝込んでいた。
本荘で乗り換えて、亀田に着いたのは、十時近かった。
駅は寂しかった。だが、その前の町並は家の構造がしっかりしていた。古い家ばかりである。想像していたより、ずっと奥ゆかしい町だった。
雪国なので、どの家も庇ひさしが深かった。今西も吉村も初めての東北の町なので、これは珍しかった。町の上に山があった。
「今西さん、少し腹が減りましたな」
吉村が言った。
「そうだね、では、その辺で腹ごしらえしよう」
駅前の食堂に行った。客は二三人しかいなかった。食堂といっても、半分はみやげ物売場で二階は宿屋になっていた。
「何にする?」
「そうですな、ぼくは飯をうんと食いたいですな。何しろ、腹が減った」
「君はよく眠っていたよ」
「そうですか。今西さんに起こされましたね。今朝、早く目が覚めたんですか?」
「やっぱり、ぼくの方が年寄りだね。鶴岡あたりから目が覚めてね」
「それは、惜しかった。鶴岡という町は、ぼくは見たかったんです」
「あんなに寝込んでいちゃ、どこも見られやしないよ」
「そんなに早く起きたんでは腹が減ってしようがないでしょう?」
「君とは違うよ」
今西は、そいばを取った。二人は並んで食べた。
「今西さん、ぼくは、妙なことを思うんですよ。あなたは、どう感じるかしれませんがね」
天丼てんどんをかきこんで吉村が言った。」
「こうして、いろいろ出張するでしょう。そうすると、あとでその土地土地の景色よりも、ぼくは、食べ物の味を一番に思い出すんです。中には、ホシの護送をして、ずいぶん、はらはらしながら帰るんですがね。そんな苦労よりも、その土地で食べた食べ物の味の方をよく覚えているんです。われわれの出張は、旅費がぎりぎりでどの土地に行っても美味いものが食べられるわけじゃないんですけどね。やっぱり、ライスカレーか丼どんぶりものがか、どこにでもあるようなもんでしょう、でも味が違うんです。その土地土地の味っていうか、それをぼくは先に思い出しますがね」
「そうかな」
今西は、そばをすすっていた。
「やっぱり、君は若いんだよ。ぼくなんぞは景色の方を覚えたいね」
「あ、そうだ」
吉村は箸はしを止めて言った。
「今西さんは、確か俳句を作るんでしたっけ。それで景色に特別に注意が向くんですね。今度も句囊くのうを肥して帰るわけですな?」
「駄句だくばっかりだよ」
今西は笑った。
「ところでどうします。飯を食ったらすぐに警察署に行ってみますか?」
「そうしよう」
「しかい、何ですな。ちょっとふしぎな気がしますね。われわれがこうして、この土地に来たのは、今西さんが奥さんの雑誌の付録を見たからでしょう。あれがなかったら、ぼくなんかこんなところに来るわけはなかったんです。してみると、人生なんて、ちょいとしたきっかけで運命が変わるいうことがよくわかりますよ」
吉村は、丼を一粒も残さず食べたあと、茶を注つぎながら言った。
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