横からドアがあいた。これが突然だったので、関川はびっくりした。
大学生が一人、これも思わぬところで人間に出会ったように、ぎょっとして棒立ちになった。瞬間、関川は、顔を横に振って、彼のそばをすり抜けた。狭い廊下だったし、とっさに引き返すことも出来なかった。
恵美子の部屋の前に戻った時、関川は気になって思わず後ろを振り返った。これがいけなかった。先方でも手洗いの方に歩きながら振り返ったところだった。
二人の顔が真正面にあった。
ドアをしめて部屋に入った時に、関川はこわい顔をして、しばらくそこに立っていた。
恵美子がその顔を見て、
「どうしたの?」
と、布団から体を起こして聞いた。
「そんな顔をして」
関川はまだその場から動かなかった。顔色が悪かった。
「ねえ、どうしたの?」
関川は返事をしなかった。
彼は黙って畳の上に座ると、食卓の上の煙草を取り、すいはじめた。
恵美子が布団から起きて来た。
「何かあったの?」
覗くように、男の真向いに座った。
関川は煙りだけ吐いている。
「変ね、そんな顔をなさって」
関川は低く答えた。
「見られた」
この声が低すぎたので、女は聞き返した。
「え、なに?」
「見られたんだ」
女は目を大きくした。
「えっ、だれに?」
「前の学生だ」
関川は、煙草を挟んだ手を額に当てた。恵美子は、その様子を見守っていたが、
「大丈夫よ。きっと先方にはすれ違ったくらいでは」
と言った。
「そうじゃないんだ。ぼくが振り向いた時、向うでもじっとぼくの顔を見ていたんだ」
「へええ」
「あれじゃ真正面だ」
恵美子は、関川の憂鬱ん憂鬱な表情をしばらく見ていたが、
「平気よ」
と、慰めるように笑いかけた。
「あなたがそう思いってるだけだわ。あんがい、先方はあなたの顔なんか見てやしないわ・・・ちょっと見たぐらいではわかるはずがないし、また、いつまでも覚えてなんかいるもんですか。それに廊下の電灯が暗いでしょ。昼間だったら別だけど、大丈夫よ」
関川はまだ暗い顔つきを解かなかった。
「覚えてなきゃいいがな」
「覚えてないわ。どんな人、あなたを見たってのは?」
「そうだな、丸顔の男だ。背のずんぐりした・・・・」
恵美子はうなずいた。
「だったら違うわ。前の学生さんじゃないわ。前の学生さんは背が高いの。あなたが見たのはきっと遊びに来た友だちだわ。だから、よけいに、あなたの顔なんか知るわけはないわ」
「友だちか・・・」
「安心なさいよ」
女は少し恨めし関川を凝視した。
「いやあね、ちょっとしたことでもそうなんだから。あんたとはもう一年になるけれど、いつもこう用心深いのね」
女は溜息をついた。
「帰る!」
関川は言い、急いで立ちあがった。
帰り支度をする男に、恵美子は何も言わないで手伝った。
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