~ ~ 『 寅 の 読 書 室 Part Ⅶ-Ⅴ』 ~ ~

 
== 『 砂 の 器 (上)』 ==
著 者:松本 清張
発 行 所:㈱ 新  潮  社
 
 
 
 
 
方 言 分 布 (十一)
今西栄太郎は、署長の好意で出してくれたジープに乗って亀嵩に向かった。
道は絶えず線路に沿っている。両方から谷が迫って、ほとんど田畑というものはなかった。そのせいか、ところどころに見かける部落は貧しそうだった。
出雲三成の駅から四キロも行くと、亀嵩の駅になる。道はここで二又になり、線路沿いについている道は横田という所に出るのだと、運転の署員は話した。
ジープは川に沿って山峡に入って行く。
この川は途中で二つに分かれて、今度は亀嵩川という名になるのだった。亀嵩の駅から亀嵩部落はまだ四キロぐらいはあった。途中には、ほとんど家らいいものはない。
亀嵩の部落に入ると、追ったより大きな、古い町並みになっていた。
この辺の家も檜皮葺の屋根が多く、なかには北国のような石を置いている家もある。
算盤の名産地だと署長が説明したが、事実、町を通っていると、その算盤の部分品を家内工業で造っている家が多かった。
ジープは町の中を走って、大きな構えの家の前にとまった。この辺の言葉でいう親方(金持)の屋敷である。署長の言った算盤の老舗、桐原小十郎の家だった。
運転した署員が先に立って、その門の中に入った。きれいな庭が家の横手に見える。今西が、ちょっとおどろいたくらい風雅な造庭だった。
玄関をあけると、奥から待っていたように六十年輩の男が絽羽織を着て出て来た。
「こちらが桐原小十郎さんです」
巡査は今西に紹介した。
「まあ、この暑いときね、ご苦労はんでしたね」
桐原小十郎はていねいに挨拶した。白髪頭の面長な、目の細い、鶴のように痩せた老人だった。
「まあ、きちゃないことをしちょオましが、どうぞこっちへ上がってくださいませ」
「ごやっかいをかけます」
今西は主人の後ろについて、磨き込んだ廊下を歩いた。廊下は縁になっていて、そこからも意志と泉水のきれいな庭が眺められた。主人は今西を茶室に案内した。ここでも今西が以外に思ったのは、この田舎に、こんな本式な茶室があるとは思えないくらい立派だったことである。ジープで来る途中、貧しい農家ばかり見て来た目である。
主人は今西を上席に据え、まずお茶を点ててくれた。暑い時だったが、甘いような苦いような抹茶の味が、今西の疲れを少しやわらげてくれた。
道具も凝っている。茶の知識のない今西でも思わず褒めた。
「こらあ ── ほめてもらあやなみんであァませんが」
桐原小十郎は律義におじぎをした。
「こげんな田舎ざいご のことでしもんだけん、なんだりあァませんだども、お茶の習慣しいかんだけは昔からのこっちょりましてね、何分ね、出雲の殿さんが松平まつだいら不昧公ふまいこうだった関係でいまだね、その風習ふうしいが残っちょォましだ」
今西はうなずいた。この田舎に似合わず、庭が京都風なのもわかった。
「東京からござらっしゃったしうには恥ずかしが、── まあ、こぎゃんな土地がらでし」
桐原小十郎は、そこまで言って気づいたように、今西の顔をのぞいた。
「ああ、そげえだよけいなことばっかししゃべりましたが、三木謙一さんのことで、わしねなんでも話せちうことを署長だんさんから聞いちょオましが・・・」
今西栄太郎は、先ほどからそれとなく耳を立てていたが、やはり老人だけに桐原小十郎の言葉には訛りがあった。東北弁とはちょっと調子が違うが、ズーズー弁に似ていることに変わりはない。
「署長さんからお聞きになったと思いますが」
と、今西は言った。
「三木謙一さんは、最近、東京で不幸な亡くなられ方をしたのです」
「そげな、げねしね!」
老人は、品のいい顔に暗い表情を浮かべた。
「あげなええが、何の恨みだえら知らんだども、他人ふとの手ねかかって殺されたなんてえめねだり思えませだったわ。そォでまんだ犯人の見当はちかんでしだね」
「残念ながら、まだ目ぼしがつかないのです。われわれとしては、三木さんが警察官でもあったし、ぜひ、この犯人をあげたいと思っているしだいせす。それで、こうして、まず、被害者の三木さんの過去を知りたいと思ってうかがったようなわけです」
桐原小十郎は、大きくうなずいた。
是非どけじ 、そのあだを取ってごしなはいや。あげなええを殺したやちは憎んでもあきたァません」
「桐原さんと三木さんと、昔お親しかったそうですが」
「そのことでし、けえ、この先ね、えまでももかしからの駐在所ちいざいしょがあァましがね、三木さんはそこね三年ばかし勤務しちょられました。あげんな立派な巡査じんささんはめったね、あァもんじゃあァません。三木さんが警察をおめなはって、作州の津山の近所で雑貨屋みせやさんになられェてからわしもだいぶイさん文通をしちょりましたども、ここ四五年なんとなく疎遠になっちょりましたとこめが、今度の事件を聞いて、寝耳ね水といったやァな具合で、私は、三木さんが、まんだえまでも盛大な商売あきないをやちょォなはるとばっかし信じちょォました」
「実を申しますと」
今西は隠さないで言った。
2025/04/13
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