~ ~ 『 寅 の 読 書 室 Part Ⅶ-Ⅴ』 ~ ~ |
|
== 『 砂 の 器 (上)』 ==
著 者:松本 清張
発 行 所:㈱ 新 潮 社
|
|
|
|
|
|
変 事 (十四)
|
今西は、アパートを出ると、公衆電話で浦田署の吉村刑事を呼んだ。
二人は渋谷で落ち合った。ちょうど午になっていたので、そば屋に入った。
「なんだか、大きな獲物があったような顔ですね?」
吉村は、今西の表情を見て聞いた。
「うむ、君にもそう見えるかね?」
「そりゃ見えますよ。ひどく嬉しそうですよ」
「そうかい」
今西は苦笑した。
「実はね、吉村君、君と当方に出張した時の目的が、やっと今日果せたよ」
「へえ」
吉村は目を丸くした。
「あの男がわかったのですか?」
「わかった」
「よくわかりましたね。どこから手がかりがあったんですか?」
吉村の言う男とは、むろん亀田の町をうろうろしていたという妙な男のことだった。干しうどん屋の前に立ったり、川のほとりに寝ころんだりしていた、土地で見かけない、一見、労働者風の中年男だ。
「手がかりは、ぼくのカンだよ。これはぴたりと当たった」
「くわしく聞かせて下さい」
注文したザルそばが運ばれて来たので今西の言葉は途切れた。
「実は、こないだ、新劇の俳優が心臓麻痺で死んだね」
「ああ、新聞で読みましたよ。宮田邦郎っていうんでしょう」
「そうだ、そうだ。君、知ってたのか?」
「名前だけは知っていますよ。もっとも、新劇はあまり見ませんがね。死んだ記事だけ読んで覚えています。将来有望な新人だった、と書いてありましたから」
「その男だよ」
「えっ、何ですって?」
「吉村刑事は、手から箸を落としそうにした。
「「その宮田が、あの亀田の妙な男なんだ」
「どうしてそれがわかりました?」
「まあ、ゆっくり話すよ」
今西は、箸にそばをつりあげて茶碗に浸し、口の中にすすった。吉村もそのとおりに見習った。しばらくは、そばをすする音が両方でつづいた。
「実はね、吉村君」
今西は、茶を一口飲んで言った。
「今朝、新聞を見ると、ぼくたちが帰りがけ亀田駅で出会った、ほら、ヌー・・・」
「ヌーボー・グループですか?」
「そうだ。そのヌーボー・グループの一人が新聞に出ていた。いや、その人とは関係のないことだがね。連想というのは妙なものだ。ぼくはね、宮田邦郎という男を、ちょっとマークしていたんだ。いや、理由はあとで話すよ。とにかく、そのマークした男が、大事な時に死んでね。もとより、心臓麻痺だから怪しむところはないんだが、こいつ、俳優だな、と今朝の新聞を呼んだ時連想がそこへ行った。俳優だったら、どんな演技でも出来る。扮装だって自由だ。ことに新劇の俳優だからね。奴、もしかすると、亀田に行ったんじゃないか、こういう考えがぼくの頭にひらめいた」
「そのとおりだったんですね? 宮田邦郎が秋田に行ったことは確実ですか?」
吉村は、今西の顔を覗き込むようにして聞いた。
「アパートに寄ってね、そこの持主の奥さんから証言を得たんだ。宮田邦郎は、五月の十八日ごろから、秋田に四日間行っている。奥さんは、日記をつけているから間違いはない、と言うんだがね。そら、ぼくたちが秋田に行ったのは、五月末だったろう。だから、日づけはだいたい合うんだ。死人に口なしで、当人から聞くわけにはいかないが、こりゃ間違いない」
今西は残りのそばをすすった。
「そうでしたか。しかし、よく宮田邦郎のことに気がつきましたね」
「そこが連想だよ。今朝、あのヌーボー・グループのむずかしい論文を読んで、思い出したのだ。その新聞を読んだというのも、亀田の駅で見かけたというなつかしさからだ。すると、こないだから調べていた宮田邦郎と秋田科とが、ふいと結び合ったわけだ」
「うまく、今西さんのカンが的中したわけですね」
「いや、そこまではいいんだ。問題は、宮田邦郎が何のために亀田に行ったか、ということだよ」
「そうですね」
「彼は亀田に行って何もしていない。いや何もしていないのが、あるいは彼の目的だったのかも知れないのだ。妙な、労働者のような格好をして、あの町を徘徊している。もとより宮田邦郎の生地の服装ではない。しかも向うの人たちはみんな言っていたね、その人はいつもうつむいて、まともに顔を見せなかった、とね」
「あっ、なるほど」
「しかし、それでも、あんな田舎ではどことなく目立つころがあったらしいね。女中の一人は“色は黒いが鼻すじの通った顔立ち”だと、かなり正確に、彼の容貌をとらえていたよ」
今西と吉村とは、互に相手の目に見入った。
「わかりませんね。いったい何のためにそんな変装などして亀田をうろついていたのでしょう?」
吉村が今西に言った。
「わからない。とにかく、宮田は何もしなかった。ただ歩いているだけだった。他人の家の横に立ち止まったり、川のほとりで寝ていたり、そんなことばかりしていた」
「待って下さい」
吉村は額に手をやった。
「それが目的だったんじゃないですか。つまり、宮田邦郎は、そういう姿を人に見せたかったのではないでしょうか?」
「そのとおりだ。ぼくもそう思うよ」
今西はうなずいて答えた。
「宮田は、亀田の人に、その姿を見せに行ったのだ。言いかえると、彼は、人の印象に残るように振舞ったのだ。そうだろう。ただその町を通るだけだったら、だれの目にも印象は残らない。だから、彼はわざと何か人の目に立つようなことばかりをしている」
「何のためですか?」
「ぼくらは、宮田邦郎のその扮装にだまされた」
と、西村は相手の質問には、じかに答えないで言った。
「噂は、土地の警察の耳に入った。これは、浦田殺しでこっちから依頼したから、土地の刑事が聞き込みをやってわかったのだが」
そこまで言いかけると、吉村の目が光って来た。
|
2025/05/03
|
上 巻 完 |
|
|
|
|