~ ~ 『 寅 の 読 書 室 Part Ⅶ-Ⅶ』 ~ ~

 
== 『 砂 の 器 (下)』 ==
著 者:松本 清張
発 行 所:㈱ 新  潮  社
 
 
 
 
 
混 迷 (八)
西村栄太郎は、その翌日も一通の手紙を受け取った。
島根県の桐原小十郎からだった。これは達筆な筆文字で書かれている。
なかの便箋も、風雅な和紙だった。墨文字がよくうつる。
西村栄太郎は、その便箋五枚にわたって書かれた文章を読んだ。三木謙一に関するこちらからの問合せの回答だった。
今西は、それを何度も読み返した。
それは、元巡査三木謙一の「善行」について、詳細にしたためられたものだった。
三木謙一の当時の善行は、たびたび、これまで聞いている。桐原老人の手紙は、それをもっと具体的にしたものだった。
今西は、それを引出しの中に大事にしまった。そこには、昨夜来た三木彰吉からの手紙も、一緒に納まっている。
西村栄太郎は、その日一日中、考えごとにふけった。本庁に出て仕事をしていても、その考えが頭から離れなかった。そして、ある所に問合せの手紙を書いた。
夕方、今西は係長のところに行って、二日間の休暇をもらうことにした。
「珍しいね」
と、係長は今西の顔を見て笑った。
「君が二日つづきの休暇願を出すことは、これまでなかったね?」
「はあ」
今西は頭を掻いた。
「少し疲れたようですから・・・」
「大事にするがいい。休暇は、三日でも四日でもいいよ」
「いいえ、二日間で結構です」
「どこかに出掛けるかい?」
「はあ、伊豆あたりの温泉に行って、のんびり湯に浸ってきたいと思います」
「そりゃいい考えだ。なにしろ、君も働き通してきたからね。人間、休息しないと。疲労からとんだ病気にかからぬともかぎらない。ま、湯にでもはいって、按摩を呼んで、ぐっすり寝てくることだな」
係長は、今西の休暇願に自分の判を捺し、課長のところへ出してくれた。
今西は、早目に本庁を出ると、大急ぎで家に帰った。
「ちょっと、旅行してくるよ。これからすぐ発つから、支度をしてくれ」
「出張なの?」
芳子は、今西のそわそわした様子を見て聞いた。
「出張じゃない。休暇だ。二日ほど関西の方に行って来る」
「関西? あら、急ね。どうしてそんなことを思い立ったんですか?」
「何でもいいよ。急に、汽車に乗って遠くへ行ってみたくなったんだ」
「今夜の汽車なの?」
「そうだ。思い立ったら、一日でも早く行きたくなった」
「一人で?」
「一人だ」
「妙だわ。何か用事があるんでしょ?」
「いや、用事なんかない。お伊勢さまにお詣りしてくるだけだよ」
芳子は呆れたように笑った。
「へえ、そりゃまたどうした風の吹きまわしかしら?」
2025/06/11
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