宿願がかない都にのぼった李白は、玄宗の側近に仕え、翰林供奉 (カンリングブ)
の職を授けられた。この職は天子の詔勅の草稿を作ったり、詩文を作ったりすればよく、これといった決まった仕事があるわけではない。李白は玄宗皇帝の寵遇を得て、得意満面であった。この頃の李白の面影をうかがわせる、杜甫の
「飲中八仙歌」 の一節を記してみよう。
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李白一斗詩百篇
長安市上酒家眠
天子呼来不上船
自称臣是酒中仙 |
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李白は一斗
詩百篇
長
安市上酒家に眠る
天子呼び来れども船に上
らず
自
ら称す臣は是
れ酒中の仙と |
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李白さんは一升酒を飲むうちに百篇も詩ができる。長安市中の酒場で酔って寝てしまい、天子のお召しがあっても船遊びのお伴も出来ず、
「臣は酒中の仙人でござる」 とうそぶいている、という具合である。
上京した翌年、天宝二年 (743) の春のある日、宮中の沈香亭
(ジンコウテイ) で牡丹の花見の宴が開かれた。玄宗のかたわらには、花とけんを競うがごとくあでやかに楊貴妃が侍っている。宴もたけなわになり、名歌手の李亀年
(リキネン) が進み出て、一曲歌おうとすると、玄宗が、
「名花を観賞し、貴妃が前にいるのに、古い歌詞で歌うことはあるまい、李白を召し出せ」
という、実はその時、李白は例によって酒場で酔いつぶれていたのであるが、召し出されるや、たちどころに三首の詩をうたいあげた。これが
「清平調詞」 三首である。清平調とは、音楽の調子 (メロディー)
の名である。
その二首目にはいう。 |
一枝紅艶露凝香
雲雨巫山枉断腸
借問漢宮誰得似
可憐飛燕倚新粧 |
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一枝の紅艶
露香を凝
らす
雲雨巫
山枉げて断腸
借問
す漢宮誰か似るを得たる
可憐
の飛
燕
新粧
に倚
る |
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一枝の紅艶な花が露に濡れて香を凝らしている。巫山の女神を慕って断腸の思いに沈んだ楚王は、無駄な事をしたものだ。さて、漢の宮中で誰が貴妃さまに比較できるだろうか。愛らしい趙飛燕
(チョウヒエン) の化粧したての姿こそ、まず比べられるだろう。
もちろん、李白としては牡丹の花になぞらえて楊貴妃の美しさを賛えたのであるが、そのたとえが悪かった。趙飛燕は前漢末の成
(セイ) 帝の寵愛を得て、その皇后になった女性であるが、いたって下賎の出であり、最期は自殺している。
玄宗側近として羽振りをきかせた宦官の高力士は、かって天子の面前で酒に酔った李白に靴を脱がされたことがあり、これを根に持って仕返しを狙っていた。そこで、新作の清平調詞を口ずさむ貴妃に言った。
「近頃貴妃さまには李白めを怨んでおいでかと思っていましたが・・・・・」
貴妃は驚いて、
「李白が私を侮辱でもしたと言うのですか」
高力士、
「飛燕のような賤しい女を貴妃さまに比べたのは、不敬と申すべきでしょう」
この話が貴妃から玄宗に伝わり、玄宗は李白の才能を愛してはいたが、結局は黄金を賜って李白を都から追放してしまったという。
この話の真偽はともかくとして、自由奔放な李白には、所詮俗物どもの巣窟である宮中での生活は、肌に合わなかったのであろう。とにかく、李白が長安を去ったのは天宝三年
(744) であるから、わずか足かけ三年の都ぐらしであった。
長安を追放された李白が、先ず訪れたのは東都の洛陽 (河南省
(カナンショウ) ) であり、ここで初めて杜甫とめぐり合うのである。この時、杜甫は三十三歳、山東地方の旅から帰って来た杜甫は、しばらく洛陽に滞在していた。 |
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現代視点・中国の群像 楊貴妃・安禄山 旺文社発行 執筆者:巨勢
進 ヨリ |