書急務条議 癸丑十月朔、拝鳳闕、粛然作之、時余将西走入海
一 身 拝先考墳、涙餘作詩

きゅうじょうのちしょ
どう  
よう 歳々さいさい 陸梁りくりょう
滔滔とうとうたり じょうひと
いくそうかんずる
そう士 けんあんじてみだりにみずかゆる
かく しかばねつつむは だんつね
ゆう書生しょせい 閑文章かんぶんしょう
またろんじて廟堂びょうどうむか
かくごとくにしてすればわれいてはれり
直諫ちょくかん く 第一槍だいいつそう


世道日萎靡

妖夷歳陸梁

滔滔世上人

幾個感履霜

壮士按剣漫自許

馬革嚢屍男児常

多憂書生閑文章

還論事務向廟堂

如此而死於吾足

直諫先著第一槍

※嘉永六年(1853) 八月の作。二十四歳。
この年六月、ペリーが艦隊を率いて浦賀に入ったとの知らせに接し、松陰はただちに浦賀に出向き、江戸へ戻ると 「将及私言」 「急務条議」 「海戦策」 等を書き上げて藩庁に差し出した。
ただし、この時の松陰の藩内での立場は、さきに寛永四年暮れから東北周遊が藩の許可を得ぬままに出かけたものであったが為に、その処分として士籍および家禄を奪われ父杉百合之助の育みということであったので、藩主が松陰を愛して心に懸けてくれるということはあったにしても、公然と時事を論じ上書するような行動は、不謹慎であるとの非難を免れなかった。
それは松蔭自身も予想していたことで、「急務条議」 の末尾にこの詩を添え、 「呉々も吾が平生の心事、此の外に之れなき事」 と結んでいる。

萎靡=衰える。振るわない。
陸梁=悪人や妖怪があばれまわる。
感履霜=危険の前兆を察知する。履霜は、ここでは世の廃頽と夷狄の跳梁が危機の前触れであると知ること。
馬革嚢屍=軍馬の革で自分の死体をつつまれる。従軍して戦死し、生還するつもりのないこと。
書生=読書階級の人で、通常は若者に用いる。
閑文章=無用の文章 「将及私言」 「急務条議」 等を謙遜していう。
事務=その時に当って為すべき事
廟堂=朝廷や政府など政治を行う中心をいう、ここでは長州藩の政庁をさす。
直諫=見を顧みず、相手の思わくを考えず、はっきりと正しいことを述べる。
第一槍=戦場で一番最初に敵と槍を交え戦いはじめることを一番槍と称し、非常な名誉とされた。

社会の道義は日々に振るわなくなり、一方では夷狄どもが年ごとに跋扈するようになった。
時勢に流されてゆくだけの世間の人々の中で、国家の危機を感じ取っている者は幾人いよう。
悲壮な志の我等は剣をつかんで、男児たるもの戦ったすえに屍を馬の革に包まれて帰るのはあたりまえのことだと、勝手に思いこんでいる。
そして、若輩ながら国を憂えてやまぬままに、またもや役にもたたぬ文章を書いて時勢を論じ、藩庁に差し出したのである。
このために死罪となるならば、私としてはそれで十分満足である。はっきりと直言しようと、まず一番槍を突きつけたのである。

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ちゆう十月朔じゅうがつさく鳳闕ほうけつはいし、粛然しゅくぜんとしてこれつくる。ときまさ西走せいそうしてうみらんとす
山河襟帯自然城

東来無日不憶神京

今朝盥嗽拝鳳闕

鳳闕寂寞今非古

空有山河無変更

野人悲泣不能行

聞説今皇聖明徳

敬天憐民発至誠

鶏鳴乃起親斎戒

祈掃妖夷致太平

従来英皇不世出

悠々失機今公卿

人生如萍無定在

何日重拝天日明
さん襟帯きんたい ぜんしろ
東来とうらい として神京しんけいおもわざる
今朝こんちょう 盥嗽かんそうして鳳闕ほうけつはいすれば
鳳闕ほうけつ 寂寞せきばくとして いま いにしえにあら
むなしくさん 変更へんこうるのみ
じん きゅうして あたわず
きくなららく 今皇聖明きんこうせいめいとく
てんうやまたみあわれむこと せいはつ
鶏鳴乃けいめいすなわきてしたし斎戒さいかい
ようって太平たいへいいたさんことをいのると
従来じゅうらい 英皇えいこう にはでず
悠々ゆうゆうとしてしつす 今公卿きんこうけい
人生じんせい  へいごとく 定在ていざい
いずれのにか かさねて天日てんじつあきらかなるをはいせん
※嘉永六年 (1853) 十月の作。二十四歳。
朔は、ついたち。 鳳闕は皇居。鳳は天子の象徴で、闕は門。粛然は身が引き締まる思いでいる様子。
この年の六月、アメリカのペリーが黒船四隻を率いて浦賀に投錨したとの報に接し、松陰はさっそく状況を見に現地へ出向き、いったん江戸へ戻った後、ペリーの船に同乗して国外へ出ようと決意した。
ところが、松陰がその準備をしているうちにペリーは去ってしまい、ちょうどそこへ長崎にはロシアのプチャーチンが来航しているとの報せがはいり、それならばプチャーチンに乗船を依頼しようと、長崎に赴くことになった。
本詩はその途上、京都で皇居を拝しての作である。

山河襟帯=山河が襟や帯のようにとりまいている景勝の地。
東来=故郷の萩を出て東の方江戸へ上って以来。
神京=帝都。首都。
盥嗽=手や顔を荒い、口をすすぐこと。ここでは皇居を参拝するにあたって身を清めたということ。
寂寞=ひっそりと寂しい。さびれていること。
空有山河無変更=衰微して変わり果てている皇居に、変わらぬままの山河を対比するという、懐古の詩などによく用いられる手法を採っている。
野人=在野の人。 聞説=聞くところによると、人が言うのを聞くと。
今皇=孝明天皇  親=みずから。斎戒=神を祭るにあたって、心身を清め飲食を慎み、けがれを去ること。
悠々=おもいのはるかなことや広遠のさまをいうが、のんびりした様子。ここはおんびりとしていて切実でない様子。
失機=その時にしなければならなぬことを実行しない。時宜を失する。
萍=水草の一種。浮き草。詩では常に漂泊する者にたとえる。
無定在=定在は、きまった居場所。不変の地歩。
何日=松蔭はこれから長崎に赴いてロシア船に身を託し、数年間にわたって海外へ出るつもりでいるから、日本へ戻ってこられるのはいつの日であろうか、との意味合いも含む。
天日明=朝廷の権威が回復すること。天日は、天子をさしていう常用の比喩

山と河とが美しく取り囲んで自然の城壁となっている京の都。東にかた江戸へ上って以来、この帝都を思わぬ日とてなかった。
今朝、身を清めて皇居を伏し拝むに、皇居は寂れていて昔の面影もない。
変わらぬものは周囲をとりまく山河だけであることに、草莽の臣たる私も涙にくれて立ち去りかねるのであった。
聞くところによれば、今上陛下には英明なる御徳を備えておられ、まごころより天を慎み民を思うお気持ちであられる。
そして、朝は鶏の声とともに起きられて御自ら斎戒せられ、夷狄をうち払って太平の御代をもたらすことを祈っておられる、と。
これまで、英明なる天子がいつの時代にも御在位であったわけではない。しかも、公卿たちは今も迂遠なことばかりしていて時宣をわきまえていない。
人の一生は水にただよう浮き草のようなもので、先々のことはなんとも言えぬが、いつの日か天子の御威光がふたたび輝きわたるのを拝したいものだ。

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いつ  しん
一身踪跡幾変更

難免不忠不孝名

膝下缺歓又幾歳

報国微衷何日成

客夜遥遥眠不得

孤燈照愁滅又明
踪跡=これまで歩んできた跡。
膝下=両親。親の膝元で育てられた幼年時代をいう語で、後転じて子が親をさす尊称となる。
缺歓=親のそばに侍して楽しませることをしていない。
微衷=ささやかなまごころ。自分の抱いている誠心を謙遜していう語。
客夜=旅の空にあっての夜。
遥遥=こころの不安なさま。
一身いっしん踪跡そうせき いくたびか変更へんこう せる
まぬかがた し ちゅうこう
しつ よろこ びを くこと幾歳いくさい
報国ほうこく ちゅう  いず れの にか
かく 遥遥ようよう  ねむ
とう  うれ いをらしてめつ してはあき らかなり

※嘉永六年 (1853) 十月の作。二十四歳。
ロシア船にて海外へ出るつもりで長崎に赴いた時、わが身の上の過去将来に感慨を発しての詩。

わが身のたどってきた道は、こと志と異なって何度ねじまげられてきたことか。いずれにせよ、不忠不孝と呼ばれることは免れない。
もう何年も父母のそば近く仕えて孝養を尽くすこともしておらぬ不孝。国家の為に動こうと、いささかの真心はあっても、いつ為し遂げられるとも知れぬ不忠。
旅の宿での夜、もの思いに心安らぐことなく、いつまでも眠られぬままにいると、かぼそい灯火は、愁いにしずむ身を照らして明滅する。

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先考せんこうふんはいし、るい つく
治久邦家天歩艱

才疎自悼保生難

高墳重祭又何日

好向黄泉苦問安
※嘉永六年 (1853) 十一月の作。二十四歳。
この年九月十八日、長崎に来航しているロシア船のプチャーリン艦隊に同乗して外国へ出ようと江戸を発ったが、松陰が長崎に着いた十月二十七日にはロシア艦隊はすでに去ってしまっており、空しく引き返すことになった。
十一月二十三日に萩へ戻り、養父吉田大助の墓に詣でての詩。
松陰は杉家に生まれ、幼時に叔父の吉田大助の養子に入って吉田姓を継いだ。
先考は、亡き父の意で、吉田大助は天保五年 (1834) 四月、松陰六歳の時に没している。

治久邦家天歩艱=寛永14年 (1637) の島原の乱を最後に、徳川幕府の治世下、これといった戦乱もなく、国内は二百年以上のわたって太平を謳歌してきた。その間、鎖国政策によって海外の動向をよく知らぬままにうち過ぎており、今日にいたって西欧諸国の圧力によって開国を迫られ、国家の運命はきわめて困難な状況に陥ろうとしている。こに一句は攘夷派と開国派とを問わず、幕末の知識人に共通した危機感であったといってよい。ひとつ対応を誤れば欧米列国に蚕食されつつある清国に二の舞となりかねぬことも人々の認識するところであった。
天歩は、天の運行、時運。
自悼=悼は、悲しみ嘆く。
高墳=立派に築かれた堂々たる墓の意であるが、ここでは父の墓を丁重にいうために高字を添えて飾ったもの。
好=よし、さあ、それでいい、と自ら呼びかけて自分の行為を励まし肯定する間投詞で、詩によく用いられる。
黄泉=冥土、あの世。
苦問安= 苦はねんごろに。丁寧に。問安は、安否を尋ねることで、年長者にご機嫌はいかがですかと挨拶すること。

ひさ しくして ほう  てん なや
さい  にして みずかいた む せいたもつことかたきを
高墳こうふん かさねてまつるは いず れの
し 黄泉こうせんかってねんごろにやすきをわん

太平の世が長く続いたために、今となって国家の運命は難しいところへさしかかった。わが才の拙さでは悲しいかな、国運の打開まで命を全うすることはできまい。
父上のお墓に再びお参りができるのは、何時のことになるやら。よし、あの世にいってから丁重に御挨拶申し上げることにしよう。

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