題柱=題は、書き付けること。。柱は、ここでは萩の郊外に有る明木橋の橋柱。松陰の自注に、
「明木橋を過ぐ。橋は萩を去ること二里。予、幼時此を過ぐるに、戯れに司馬相如が昇仙橋に題せし語を題す。今又た此を過ぎ、これを思いて慨然たり」
。
学馬卿=馬卿は、前漢時代、武帝側近の文章家で、辞賦の高手として知られる司馬相如。馬は、司馬姓の略称。卿は、敬称。
『華陽国志』巻三、蜀志に、司馬相如がはじめて蜀の成都 (四川省成都市) から都長安へ出向くにあたり、成都郊外の昇仙橋のほとりで、「赤車駟馬に乗らずんば汝が下を過ぎず」
と書き付けていったという。赤車駟馬は四頭だての馬に引かせた朱塗りの車で、貴人の乗り物をさし、立身出世しない限り故郷へはもどらぬと、その決意を示したもの。松陰は少年の頃、司馬相如にならって同じ語を明木に書き付けた。
昼錦行=秦王朝を滅ぼした項羽は、軍事上の要地である関中に拠ることをせず、自分の出身地である長江下流域へ帰ろうとして、「富貴にして故郷に帰らずんば、繍を衣て夜行くが如し」
といった。繍は、錦繍、美しい縫いとりをした着物。この項羽の語から出て、故郷に錦を飾ることを昼錦というようになった。
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