せい
吾 今 為 国 死

死 不 負 君 親

悠 悠 天 地 事

観 照 在 明 神
身はたとひ

  武蔵の野辺に 朽ちぬとも

     留め置かまし 大和魂

私は今、国のために死のうとする。
この死は、主君や両親に背いてのことではない。
人の世の営みは尽きることがないが、
すべては神が間違いなく見ていてくださるはずだ。

 
※安政六年 (1859) 十月の作。三十歳。
この年五月、幕府の命令によって松陰の身柄は萩から江戸藩邸に移され、七月以降は評定所の呼び出しがあって伝馬町の獄舎に入れられることとなった。以後、三度にわたる尋問を経て、十月十六日には口書き読み聞かせが行われた。
松陰は死刑に処せられることを予感し、親族門人への永訣の書簡をしたためたり、「留魂録」 をしるすなど、最期の日への用意をはじめた。 この詩も、そうした中で作られていたものかと思われる。
十月二十七日、死罪の申し渡しがあり、獄舎内にて処刑されるにあたり、
「身はたとひ武蔵の野辺に朽ちぬとも留め置かまし大和魂」
の和歌とともに口吟したものだという。
われ いま くにため

して君親くんしんそむかず

悠悠ゆうゆうたり てんこと

観照かんしょう 明神めいしん

悠悠天地事=悠悠は、はるかに限りなきさま。天地事は、天地間の事物で、人の世のこと。
この句、人間の営みが永遠に尽きぬことをいうとともに、『荘子』 盗跖篇に 「天と地とは窮まり無く、人の死は時有り」 とあるような、悠久の天地に限りある人の生涯を対比する気分をも含もう。

なお、悠悠には 「憂うるなり」 (『詩経』小雅 「十月之交」 の毛伝など) の訓もあるため、高野辰之 『志士文学』 (昭和十七年、東京堂刊) では
「転句の悠悠は憂へるさまをいふ。此の天地間の事に対して自分は案じ憂えて今刑に死するものであるが、此の死が忠孝の道に背かぬ事を洞見して賞し給ふのは天地の名神様だけであらう。それでよいのだ。自分は少しも恥じは感じない」
と解する。
観照=もと 『楞厳経』 巻二などに見える仏教語で、智慧をもって世界の事理を見通すこと。
神明=明らかに見通している神。

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