雨 外甥正直客舎桜井駅
楠公 成  

 )  
依稀梅子雨

連日酒庭蕪

水溢没渓渡

岸崩断険途

糧空如餓鼠

犬吠似狂夫

寂寞柴門裡

微微寄此躯
よく似ている。髣髴とさせる。
の雨=梅雨。梅の子が熟する頃に降り続く長。
庭に草がおいしげっていること。
谷川の渡し場。
けわしい路。
寂寞さびしく静かなさま。何物もない様子。
柴門柴でつくった門。あばら家を意味する。
かそけく静かなさま。
たりばいの雨

連日れんじつていそそ

水溢みずあふれてけいを 没し

岸崩きしくずれてけん

糧空りょうむなしくしてごと

犬吠いぬほええてきょうに似たり

寂寞せきばくたり柴門さいもんうち

として
まるで梅雨どきの雨のように、連日、草むした庭に降りそそいでいる。
川は溢れて谷あいの渡し場も水没し、岸は崩れて山路も断ち切られた。
家には食べるものもなく、家族は飢えた鼠のようなありさま。
犬は狂人のごとく吠えたてる。 寂しいあばら家の中で、ひそやかにこの身をここに托している。
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外甥正直がいせいまさなおに示
一貫唯唯諾

従来鉄石肝

貧居生傑士

勲業顕多難

耐雪梅花麗

経霜楓葉丹

如能識天意

豈敢自謀安

唯唯諾=唯唯は、丁寧に 「はい」 と返事をすること。
       諾は、承諾。
従来=もともと。元来。
鉄石肝=「鉄石の心」 「鉄石の心腸」 。
      鉄や石の如く堅固に志を変えないこと。
傑士=傑出した人士。すぐれた人物
天意=天の意志として人に下された使命。天命。
一貫いっかんす だく

従来じゅうらい 鉄石てっせきかん

貧居ひんきょ けっしょう

勲業くんぎょう なんあらわる

ゆきえてばいうるわしく

しも楓葉ふうようあか

てんらば

あえみずかやす きをはからんや
「はい」と答えて承諾した以上は、どこまでも守り抜く、そうした態度を貫き通すには、もともと鉄石のごとく堅固な意志が必要である。
貧しい暮らしであっても、その中でこそ傑れた人物ができ上がり、輝かしい勲功も多くの苦難を経て達成されるものだ。
冬の雪に耐えて梅に花は麗しく咲き、霜を受けて楓は美しく紅葉する。
もし自分に課せられた天命を知りえたならば、どうして一身の安寧のみを謀っていられよう。
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客舎かくしゃあめ
一陣狂風雷雨声

甲平来襲以相驚

愁城暗築天涯客

客魂條催分外清

狂風=勢いはげしく吹く風。突風。
甲兵=武装した兵士。甲はよろい。
愁城暗築=愁城は、胸に集まりわだかまる愁いを城に例えた言い方。
        暗は、暗思・暗恨・暗喜などと同じ。
        胸に包み込んで外に表れぬ様子。
客魂=旅人である自分の心。客心に同じ。
分外=格別に。

一陣いちじん狂風きょうふう らいこえ

甲平こうへいたりってあいおどらかすに以たり

愁城しゅうじょう あんきず天涯てんがいきゃく

客魂かくこん たちまくだけて分外ぶんがいきよ
一陣の強い風が吹いて、雷雨の音も聞こえる。まるで鎧に身をかためた兵隊が襲撃してきて、人を驚かせるような勢いだ。
天涯の旅にある身の上とて、心中ひそかに愁いにしずみこんでいたが、突然の風雨がすべて吹き払って、まことに清々しい心境となった。
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桜井駅さくらいえきさん
慇懃遺訓涙盈顔

千載芳名在此間

花謝花開桜井駅

幽香猶逗旧南山

慇懃=慇懃は、丁重、ねんごろなこと。
遺訓=子孫に残す教え。
千載=千年、いつまでも。
此間=ここ。
花謝花開=謝は、花が散ること。
        この句での花は、桜井の駅の名にちなんだ桜の花。
旧南山=かって南朝方の都とされた吉野山。
      そこはまた桜の名所であって、楠木親子の忠義を今に
      伝えて咲きついでいる。

慇懃いんぎんたるくん なみだ 顔に

千載せんざい芳名ほうめい かんに在り

はなはなひら桜井さくらいえき

幽香ゆうこう とどむ 旧南山きゅうなんざん
楠木正成は、一子正行に我が死後のことを諄々と教えさとしたが、その時、顔には涙があふれていた。
楠公親子の忠節は、この地に永遠に伝わるものとなった。
毎年毎年、桜井の駅に、桜が咲き、桜が散ってゆく。そのほのかな香りは、かって親子が忠義を尽くした吉野山に今もなお移りただよっているのだ。
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楠公なんこうだい
奇策明籌不可謨

正勤王事是真儒

懐君一子七生語

抱此忠魂今在無

 


明籌=籌は、軍略、はかりごと。軍略に明るい。
不可謨=凡人ぬは測り要ることが出来ない。
真儒=真に学問を身につけた者。本当の儒者
一子七生語=一たび死んでも七たび生まれかわって朝敵を滅ぼそうと
         死に臨んで楠木正成、正季兄弟が語り合った言葉。

さく明籌めいちゅう はかからず

まさおうつとむる真儒しんじゅ

おもう きみ一子いっし七生しちしょう

忠魂ちゅうこんいだくもの いまりやしや
作戦は奇抜で戦略に明るい、そうした楠公の大きさは常人には測りがたい。しかも、ひとえに天子の為に力を尽くす、これこそ真の儒者といえる。
楠公兄弟が死に臨んで、 「七たび生まれかわっても朝廷に尽くそう」 と語ったことが偲ばれる。
これほどの忠心をいだいているものが、今の世にいるだろうか。
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ぐう せい
あめ斜風しゃふうびて敗紗はいしゃたた

 いてえんうつたうることかまびす

今宵こんしょう 吟誦ぎんしょうす そう

南竄なんざん愁懐しゅうかい 百倍加ひゃくばいくわわる
雨帶斜風叩敗紗

子規啼血訴冤譁

今宵吟誦離騒賦

南竄愁懐百倍加

斜風=斜めに吹きつける風
敗紗=破れたとばり。紗はうすぎぬ。絹織物の一種であるが、ここは
     粗末な布を窓や戸口に垂らしたものを指していよう。
子規啼血=子規は、ほとtぎす。
        作者が罪なくして配流せられ、遠く南島にあって故家
        を離れ
日々悲痛な思いでいることが託される。
訴冤譁=冤は、冤罪、無実の罪
      譁は、やかましく鳴きたてる。
      子規の声に借りて西郷自身の流罪が無実であることを
      訴えるもの。
南竄=南の島に流罪となっていること。
     竄は、遠い土地に追放することをいう。
離騒賦= 「離騒」 は戦国時代、楚の屈原が作ったとされる長篇の
      韻文で 『楚辞』 の中心的な作品。
      賦は有韻の美文。

雨は横ざまに吹きつける風によって、破れたとばりを叩いている。
ほととぎすが血を吐くような声でしきりに鳴きつのるのは、無実の罪を訴えているかのようだ。
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しつ だい
ふく 如何いかんぞ こころ 転倒てんとうせんや

平生へいぜい みちりて朱門しゅもんえつ

幾回いくかいなげうって兵事へいじのぞ

忠恕ちゅうじょ金言きんげんまず
禍福如何心転倒

平生把道謁朱門

幾回抛死臨兵事

忠恕金言不食言

心転倒=自分の置かれた境遇によって、そのたびに心を動揺させること。
謁=謁は、身分のある人にお目にかかる。
朱門=ふるく中国で富貴の家では門を朱ぬりにしたことから
地位や権力の家柄、
     また地位や権力のある人。
忠恕=まごころを尽くし、時分の身に置き換えて相手を思いやること。
金言=戒めとすべき立派な言葉
不食言=食言は言ったことを実行しない、嘘をつく。

めぐりあわせの幸不幸ぐらいで、どうしていちいち心を動揺させていられよう。
常日頃、いかに地位や権力のある人々に接したとしても、正しい道義に立つまでのことだ。
これまで幾たびも生死を度外視して兵乱に当ってきた身ではないか。 「ただ忠恕あるのみ」 との教えを守って、実行あるのみ。
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ごく ちゅう かん
朝蒙恩遇夕焚坑

人世浮沈似晦明

縦不回光葵向日

若無開運意推誠

洛陽知己皆為鬼

南嶼俘囚独窃生

生死何疑天附与

願留魂魄護皇城
恩遇=恩愛ふかき寵遇。前藩主島津斉彬の知遇を蒙ったことをさす。
焚坑=焚書坑儒。秦の始皇帝が儒学の文献を焚きすてさせ、儒者を坑うめにして弾圧したこと。 ここでは、島津久光の激怒を買って禍を得たことをいう。
晦明=晦は、暗いことで、夜。明は昼。夜と昼とが交互にめぐりくること。
葵=つねに日射しの方向に向かう向日葵。
推誠=どこまでも誠心をつらぬきとおす。
洛陽=漢・唐の都であるが、日本の京都をいうのに常用する。
為鬼=死者となったこと。
南嶼=南方の児島。沖永良部島をさす。
俘囚=とらわれ人、罪人。
窃生=おめおめと生きながらえている。
魂魄=たましい。人の死後、魂は天にのぼり、 魄は地にとどまるという。
皇城=天子の住まいである宮城であるが、押韻の関係から城が用いられているまでのことで、語意は皇国といっても同じ。
あした恩遇おんぐうこうむり ゆうべに焚坑ふんこう
人世じんせいちん 晦明かいめいたり
たとひかりめぐらさざるも かい
うんひらきも まこと
洛陽らくよう 
南嶼なんしよしゅう ひとせいぬす
生死せいし なんうたがわん てんせるを
ねが わくば魂魄こんぱくとど めて皇城こうじょうまも らん
朝には主君の寵愛を受けていても、夕方には指弾される。人生の浮き沈みは、夜と昼とが代わる代わる巡ってくるようなものだ。
たとえ日光が射してこなくても、向日葵はひとえに日射しをもとめていく。私も運命が開けてゆかなかったとしても、ひたすら心の誠を尽くすばかりだ。
かって京都でともに事に当った同志たちは、いまやみな死者となってしまった。南の島の囚われ人として、私ひとりがおめおめと生きのびている。
人生の生き死にが天の定めるところであることは、まぎれもない。ならば死を迎えたとしても、わが魂魄を長くこの世に留めて、祖国を護持したいものだ。
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