高崎十七回賦焉
春 夜      

 いつ   だい
吾年垂四十

南嶼釘門中

夜坐厳寒苦

星回歳律窮

青松埋暴雪

清竹偃狂風

明日迎東帝

唯応献至公
垂四十=四十歳に近づいている。
ここに特に四十歳とするのは、実年齢の概数そうであるだけでなはなく、
『論語』為政篇の 「四十にして惑わず」 が意識されているはずで、
それが今後の決意を述べている末句に照応する。
南嶼=南の島。流罪となっている沖永良部島。
釘門中=星座がひとめぐりして一年が過ぎる。
歳律窮=歳律は、月日の過ぎてゆく規律で、暦をいう。
一年の暦が窮まる最後の日、すなわち大晦日。
青松= 『論語』 子罕篇に松柏は冬に入っても青々としていることをいい、
変わらぬ節操にたとえる。
埋暴雪=暴雪は、にわかな大雪。冬にも緑を失わぬ松だが、にわかな雪に
埋もれてしまっている。この句および次句は、西郷をはじめ正義派と信ずる
人々が苦難の状況に置かれている事を寓する。
清竹=竹は冬の寒さに耐えて直立し、中を空虚にして節あることから、常に
私心なき清節の君子にたとえられる。
偃狂風=貞節な竹までが烈風に吹きなびかされている。
迎東帝=元旦となる。 東帝は、東方をつかさどる春の神。
至公=いたって公平無私。私心なき至誠
われ とし 四十になんなんとして
南嶼なんしょ 釘門ていもんうち
よるして 厳寒げんかんはなはだしく
星回ほしめぐりて 歳律さいりつきわまる
青松せいしょう 暴雪ぼうせつうずもれ
清竹せいちく 狂風きょうふう
明日みょうじつ 東帝とうていを迎う
まさこうけんずべし
我が齢は四十に近いというのに、南の島の獄舎に囚われの身だ。
この夜、厳しい寒さに震えながら坐っていると、暦がめぐって大晦日となった。
冬にも枯れぬ松さえ、にわかな大雪に埋もれてしまい、みさお正しいという竹までも、烈しい風に吹き倒されている。
ソンナ中でも、明朝には新たな春を迎えることだ。ひたすらに私心なき誠を捧げてゆかねばならぬと誓おう。
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 高崎たかさきろうもん十七回じゆうしちかいじつ
歳寒としさむくして 松操顕しょうそうあらわれ
濁世だくせい 清賢せいけんどく
ゆきたいして  きゅうかん
むなしくぐ 十七年
歳寒松操顕

濁世毒清賢

対雪無窮感

空過十七年

 

嘉永2年 (1849) に 「お由良くずれ」 と呼ばれる島津藩の内紛で切腹の処分を受けた 高崎吾郎右衛門の法要に際しての詩。
当初、藩主島津斉興には、正室との間に斉彬と斉敏の二子のほか、江戸高輪の遊び船宿の女お由良を母とする久光の三子があった。
やがて斉彬派と久光派に分かれての家督争いがおこり、斉彬派の中心と目されていた家老島津壱岐、近藤隆左衛門、高崎吾郎右衛門、赤山靭負等、14人が切腹、ほかに遠島9人、蟄居謹慎14人の処罰がなされ、これを 「お由良くずれ」、あるいは 「高崎くすれ」 と呼んでいる。

西郷の盟友であった大久保利通の父も連座して鬼界ケ島に流されているほか、切腹した赤山靭負の家に西郷の父の吉兵衛が出入りしていた関係もあって、赤山切腹の際、特に西郷を呼んで臣下の道を説き、最期に着用していた血染めの肌着を贈った。そうした縁りもあって、この事件は西郷自身に大きな衝撃を与えた。

歳寒松操顕=厳しい苦難をへてこそ人の節操は明らかとなる。
処刑という厳冬のごとき試練を通じて、変わらぬ松の緑にも似た高崎五郎右衛門の節義が明らかになった。
濁世=濁った悪い世の中。
清賢=みさを正しい立派なな人
対雪=高崎五郎右衛門が切腹した17年前のこの日にも雪が積もっていたらしく、今日の雪を見て特別の感慨があったものと思われる。
冬の寒い季節に入っても変わらぬ松の緑に、はじめてそのひとの真価を人は知る。
必ずその真価は知られるとしても、混濁の世は清高の賢人を酷い目に遇わせるものだ。
いま、こうして降り積む雪に向かい合っていると、限りない思いが湧きあがってくる。
切腹から17年、私は死者の志に何も報いることができぬまま過ごしてしまった。
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 しゅん  
三宵連雨暗愁生

懶問園林千樹桜

春夜乗晴閑試歩

落花枝上乱鳴鶯
三宵さんしょうれん 暗愁あんしゅうしょう
うにものうし 園林えんりん 千樹せんじゅさくら
春夜しゅんや れにじょう じてしず かにこころみれば
落花らっかじょう 鳴鶯乱めいおうみだる 
暗愁=よるべなき愁い     園林=園庭
三晩つづきの雨に、心がふさいでしまって、どこの庭園も桜の花盛りだそうだが、花見に出かける気にもならなかった。
この春の夜、さいわいの晴れ間に、そっと出てきてみれば、桜吹雪の枝の上では、しきりに鶯の鳴き声が聞こえる。
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 ちゅう しゅう つきしょう
中秋歩月鴨水涯

十有餘回不在家

自笑東西萍水客

明年何処賞光華
中秋ちゅうしゅう つきす 鴨水おうすいほとり
十有じゅうゆうかい いえ らず
みずかわらう 東西とうざい 萍水ひょうすいきゃく
明年みょうねん いずれのところにか こうしょうせん
中秋=旧暦8月15日。この夜、人々は家族そろって名月を賞する。それだけに隆盛は一人京都にあって郷愁をつのらせることになる。
歩月=月の光の下で歩むこと。
鴨水涯=鴨水は、京都鴨川。 涯は川のほとり。
萍水客=萍は、水草の一種。客は故郷を離れた身であること。
浮き草が水に漂うような境涯であることをいう。
中秋の名月の下、鴨川のほとりを歩む。思えば十余年もの間、故郷の家での月見をしたことがない。
東に西にと、浮き草のようにさすらう身の上には、自ら苦笑するばかりだが、さて明年には 、いずれの土地で月の光を賞でることか。
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 さん こう
駆犬衝雲独自攀

豪然長嘯断峰間

請看世上人心険

渉歴艱於山路艱
いぬり くも いて ひとみずか
豪然ごうぜん 長嘯ちょうしょうす 断峰だんぽうかん
よ 世上せじょう 人心じんしんけん
渉歴しょうれきするは 
さんかたきよりもかた
豪然=意気高らかなさま。
衝雲=衝は、まっしぐらに突き進むこと。
長嘯=山路を登りきった昂然たる気分の中で詩を吟じる。
断峰=けわしく切り立った峰。
請看=読者に呼びかけて注意を喚起する言い方。
渉歴=わたり歩いてゆく。
猟犬を駆り立て雲を突き抜けて、だひとり攀じ登って行く。そして、切り立った峰々の間で、意気高らかに四週を見渡し、悠々と詩を吟ずる。
見たまえ、世間の人々の心はなんと険しいことか。その中を渡ってゆくのは、こうして山路を越えてゆくよりも更に困難なことではないか。
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 ぐう  せい
再三流竄歴酸辛

病骨何曾慕俸緡

今日退休相共賞

団欒情話一家春
再三さいさんざん 酸辛しんさんたり
病骨びょうこつ なんかつ俸緡ほうびん
したわん
今日こんいち 退休たいきゅうして ともしょう
団欒だんらん情話じょうわ 一家いっかはる
流竄=罪を得て遠く追放されること。  酸辛=辛酸に同じ。  病骨=病気の体。
何曾=曾は疑問反語を強める辞。
慕俸緡=立身出世をして高い俸給を得たいと願うこと。 俸は俸給。緡は穴のあいた銅線にとおして、一千枚ごとにまとめる糸のことで、転じて金銭を意味する。
退休=退職、隠退。  相共賞=家族みなと共に楽しむ。 賞は楽しむ。
団欒=集まり会すること。  情話=心のこもった話。
再三にわたって流罪となり、つらい苦しみを経てきた。病みつかれてしまったこの体で、もはや出世して高給を得ようという気もあるはずがない。
今日、仕事から退くことができて、一家団欒の中で心のこもった話を交わしながら、春の日を楽しんででいるのだ。
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 しゅう ぎょう
蟋蟀声喧草露繁

残星影淡照頽門

小窓起座呼児輩

温習督来繙魯論
蟋蟀しつしゅつ こえ かまびすしくして そうしげ
残星ざんせい 影淡かげあわ くして 頽門たいもん
らす
小窓しょうそう 
ちて はい
温習おんしゅう とくたって ろん
ひもと
蟋蟀=こおろぎ。秋の代表的な景物。
残星=夜明けの空に消え残る星。
温習=復習。すでに学んだことをおさらいする。
督来=督は、言いつけること。促すこと。来は動詞に添えただけの助字。
魯論=『論語』
こおろぎが鳴きたてているあたり、草はしっとりと露に濡れている。
夜明けの空に消え残る星の光は淡く、我が家のくずれかかった門を照らしている。
窓辺から立ち上がって子供達を呼び、勉強のおさらいをいいつけて『論語』を開いた。
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