失  題 月 下 寒 梅 失  題
失  題 感  懐 月 照 和 尚 忌 日 賦 焉

ぐう  せい
我家松籟洗塵縁

満耳清風身欲仙

謬作京華名利客

斯声不聞已三年
いえ松籟しょうらい 塵縁じんえんを洗う
まん清風せいふう  せんならんとほつ
あやまってけいめいかく
こえ かざること すで三年さんねん
明治6年 (1873)の作。47歳。この年10月、朝議で征韓論が退けられたために下野し、
11月10日、故郷鹿児島に帰っての感慨を述べる。

松籟=
松風のひびき。
塵縁=俗世間のわずらわしい関係
京華=はなやかな都。ここは西郷が新政府の大官として過ごした東京をさす。
斯声=故郷の家での松籟

故郷の家に帰って松籟の音を聞いていると、俗世間の汚れがすっかり洗い落とされる。耳いっぱいにすがすがしい風の音が響くと、この身が仙人になったかと思うほどだ。
なんの間違いか、都で名誉だの利益だのを追い求める中に立ち交じっていて、この爽やかな音を聞かぬまま三年も過ごしてきたのだ。

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しつ   だい
雁過南窓晩

魂銷蟋蟀吟

在獄知天意

居官失道心

秋声随雨到

鬢影与霜侵

独会平生事

蕭然酒数斟

魂銷=気分が沈み込む。気がめいる。
蟋蟀=こおろぎ。
天意=天の心。天が与えた使命。
居官失道心=官に在ると、天意に背くようなことも言わねばならない。道心は、天が人に賦与した正しい道義の心。
会=心に会得する。よく理解する。
平生事=平生は、ここでは平昔に同じ。かっての事。往時。
蕭然=ひっそりともの寂しいさま。
がん 南窓なんそうぐるばん
こんしょうす 蟋蟀しつしゅつぎん
ごくりててん
かんりて道心どうしんを失う
秋声しゅうせい あめしたがって
鬢影びんえい しもためおか さる
ひとかいす 平生へいぜいこと
蕭然しょうぜんとして さけ 数々しばしば
雁が飛び過ぎて行くのが南の窓から眺められる夜、こおろぎの鳴く声を聞いていると、心が沈みこんでゆく。
かって罪人となって囚われていた時、天が自分に与えたこの世での使命をはっきりと自覚したものだった。ところが、その後、役人として官位についていた時には、心ならずも良心に背くようなことさえ言わねばならなかった。
一雨ごとに秋が近づいてくる。わたしの鬢も霜降るように白くなってゆく。
今、往時のことをひとり静かに見つめることができるようになって、さびしく酒を酌むばかりだ。
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 げつ かん ばい
寒梅照席一枝斜

人静更深香益加

最愛今宵塵外賞

幽窓疎影月中花
寒梅かんばい せきらしていつ ななめなり
人静ひとしずまり 更深こうふかくして 香益々加こうますますくわわる
もつとあいす 今宵こんしょう 塵外じんがいしょう
幽窓ゆうそう えい 月中げっちゅうはな
人静=夜が更け、人も寝入って静まり返ること。
更深=夜がふける。更は夜を初更から五更まで五つに区切った時間の単位。
塵外賞=俗世間の煩わしいことから離れての楽しみ。賞は、賞玩、愛で楽しむこと。
疎影=まばらに映す梅の枝。
寒中の梅が一枝斜めに影をさして、座敷に照り映えている。人々が静まり、夜もふけてくると花はますます芳しい。
今宵、こうして俗世間を離れた楽しみの中にいられるのが、なによりも嬉しい。
ほの暗い窓辺に、梅がまばらな枝ぶりを映して、月の光のもとで咲いているのを見ながら。
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 しつ  だい
坐窺古今誦陳編

富貴如雲日幾遷

人不知吾何慍有

一衣一鉢任天然
してこんうかがい 陳編ちんぺんしょうせば
ふう くもごとく いくたびかうつ
ひとわれ らざる なんいかりからん
いちいつぱつ 天然てんねんまかせん
陳編=古い書物。
富貴如雲=人の世の富貴は、得たかと思うと失われ、風のまにまに浮かびただよう雲のようなものだ。
日幾遷=雲が一日の間に何度もそのありかを移してゆくように、富貴も定まりない。
人不知吾何慍有= 『論語』 の学而篇に 「人知らずして慍らず、亦た君子ならずや」 とあるによる。朱子の注に 「慍は、怒りを含むの意」。
一衣一鉢=インドの仏教教団では、僧が個人として所有を許されるのは、「三衣一鉢」 といって、三種の衣類と托鉢に用いる鉢ひとつであった。そうした生活をさらに強調して、 「僧は一衣一鉢の外は財宝を持たず」 などの言い方も用いられる。
修業僧のように、与えられるままの生活。
座って古今の歴史を考え、古い書物を読んでみると、富貴というものは定まりなく、一日のうちにもあちらへこちらへと動いてやまぬ雲のように儚い。
富貴を得られぬについて、世の人々はどうして自分の真価を知ってくれぬのかと腹を立てたりしがちだが、怒るにも当らぬことだ。
一枚に着物と一鉢の食べ物、与えられたままに自然に任せればよいことだ。
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 しつ  だい
才子元来多過事

議論畢竟世無功

誰知黙黙不言理

山是青青花是紅

才子=才能のある人物をいうが、ここはあまり良い意味ではなく、気がきいて弁も立ち抜け目のない人物をさす。
山是青青花是紅=山は無言のままに青々として、花は無言のうちに紅く咲いて、それぞれ本来の持ち前を発揮している。
さい 元来がんらい おおことあやま
ろん 畢竟ひっきょう こう
たれらん 黙黙もくもくごん
やま青青せいせい はなくれな
才子はもともと、事を過るがちなものだ。いかに議論に達者でも、議論などは結局、世のためには何の役にもたちはしない。
黙々として、もの言わぬなかに存在する道理を、わかっているのだろうか。
ほら、山は青々として、花は紅に咲く、この無言の中の道理を。
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 かん  かい
幾歴辛酸志始堅

丈夫玉砕恥甎全

我家遺事人知否

不為児孫買美田

丈夫玉砕恥甎全=玉砕は、玉が砕け散るように、立派に死ぬこと。
甎全は、瓦全に同じ。玉に較べれば見栄えのしない瓦のような存在のまま、命のみを全うして生き永らえること。 甎も瓦の意だが、瓦は仄声、甎は平声。ここは平声の甎しか使えない。瓦全よりも玉砕を、というのは当時軍事に奔走した志士たちにとって共通のスローガンのようなもので、平野国臣も、「砕けても玉となる身はいさぎよし瓦とちもに世にあらんより」 と歌っている。
また、『南州遺訓』五に、かって西郷はこの詩を旧庄内藩士に示して、「若しこの言に違いなば、西郷は言行反したとて見限られよ」 と述べたという。
遺事=子孫の為に言い残しておくこと。死後の事。
美田=よい田地。相当の家庭にたとえる。
いくたびか 辛酸しんさんて こころざし はじめてかた
じょう玉砕ぎょくさいするとも甎全せんぜんはじ
いえ ひと るやいな
そんためでん わず
いくたびか辛い苦しみを嘗めてこそ、人の志ははじめて堅固なものとなる。
男児たるもの、たとえ玉と砕けることはあっても、つまらぬ瓦のようになってまで命を永らえることを恥じるのである。
我が家の遺訓を人は知っているだろうか。それは、子孫の為によき田畑を買い残しておくことはしない、ということである。
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月照げっしょうしょうじつ
相約投淵無後先

豈図波上再生縁

回首十有餘年夢

空隔幽明哭墓前

無後先=いずれが先、いずれが後ということなく、一緒に。
後先は 『楚辞』 「離騒」 に 「忽ち奔走して以って先後す」 とあるなど、先後が常語であろうが、ここは押韻の関係で後先とした。
回首=回想する。
隔幽明=隆盛と月照が生死を異にしていること。幽は死者の世界、明は生者の世界。
相約あいやくしてふちとうず 後先こうせん
はからんや 波上はじょう 再生さいせいえん
こうべめぐらせば十有じゅうゆうねんゆめ
むなしく幽明ゆうめいへだててぜんこく
明治7年 (1874) の作。48歳。
安政5年 (1858) 隆盛を貧苦の下級藩士のなかからばってきして、藩を代表して国事に奔走する後押しとなっていた藩主島津斉彬が7月に急死したことに加え、薩摩藩内外での勤皇派の動きも思うにまかせず、前途に絶望した隆盛は、11月16日、幕府の詮議を避けて鹿児島に逃れてきた同志月照とともに鹿児島湾に小舟を出し、両人手を携えて投身自殺をはかった。
助け上げられた二人のうち、隆盛だけが息をふきかえし、ついで大島に流罪となった。
明治7年11月16日、月照の十七回忌にあたり、京都から月照のもとで寺男として仕えていた重助が墓参に訪れ、ともに往時を偲んだ折りの詩。
一緒に死のうと互いに約して、ともに薩摩の海に身を投げたのであった。思いもよらず、私一人は波の上に浮かび再び生きてもどる運命にあったとは。
ふりかえってみれば、拾余年の昔の夢のようなできごとである。今日、二人はあの世とこの世とに隔てられて、私は空しく君の墓前に痛哭するばかりだ。
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