つかはしし人は、夜昼ひる待ちたまふに、年とし越こゆるまで、音おともせず。心もとながりて、いと忍びて、ただ舎人とねり二人、召継めしつぎとして、やつれたまひて、難波なにはの辺へんにおはしまして、問とひたまふことは、「大伴おおともの大納言殿どのの人や、船に乗りて、龍たつ殺ころして、そが頸くびの玉とれるとや聞く」と、問はするに、船人ふなびと、答へていはく、「あやしき言ことかな」と笑ひて、「さるわざする船もなし」と答ふるに、をぢきなきことする船人ふなびとにもあるかな。え知らで、かくいふと思おぼして、「わが弓の力は、龍たつあらば、ふと射い殺ころして、頸くびの玉は取りてむ。遅おそく来くる奴やつばらを待たじ」とのたまひて、船に乗りて、海ごとに歩ありきたまふに、いと遠くて、筑紫つくしの方かたの海に漕こぎいでたまひぬ。
いかがしけむ、疾はやき風吹きて、世界せかい暗くらがりて、船を吹きもて歩ありく。いづれの方かたとも知らず、船を海中うみなかにまかり入りぬべく吹き廻まわして、浪なみは船にうちかけつつ巻まき入い
れ、雷かみは落ちかかるやうにひらめきかかるに、大納言だいなごん心こころ惑まどひて、「まだ、かかるわびしき目め、見ず。いかならむとするぞ」とのたまふ。
楫取かぢとり答こたへて申す、「ここら船に乗のりてまかり歩ありくに、まだかかるわびしき目めを、見ず。御船みふね海うみの底そこに入いらずんば、雷かみ落ちかかりぬべし。もし、幸さいはいに神の助たすけあらば、南海に吹かれおはしぬべし。うたてある主ぬしの御許みもとに仕つかうまつりて、すずろなる死しにをすべかめるかな」と、楫取かじとり泣なく。
大納言、これを聞きて、のたまはく、「船に乗りては、楫取かぢとりの申すことをこそ、高き山と頼たのめ、など、かくもたのもしげなく申すぞ」と、青あをへどをつきてのたまふ。
楫取かじとり答へて申す、「神ならめば、何なにわざをか仕つかにうまつらむ。風吹き、浪なみ激はげしけれども、雷かみさへ頂いただきに落ちかかるやうなるは、龍たつを殺さむと求めたまへばあるなり。疾風はやても、龍りゅうの吹かするなり。はや、神に祈りたまへ」といふ。
「よきことなり」とて、「楫取かじとりの御神聞きこしめせ。をぢなく、心幼をさなく、龍たつを殺さむと思ひけり。今より後のちは、毛けの一筋ひとすぢをだに動かしたてまつらじ」と、よごとをはなちて、立ち、居ゐ、泣なく泣く呼よばひたまふこと、千度ちたびばかり申したまふ験げんにやあらむ、やうやう雷かみ鳴なりやみぬ。少し光りて、風は、なほ疾はやく吹く。
楫取のいはく、「これは、龍のしわざにこそありけれ。この吹く風は、よき方かたの風なり。悪あしき方の風にはあらず。よき方かた
に面向おもむきて吹くなり」といへども、大納言は、これを聞き入いれたまはず。
三四日吹きて、吹き返し寄せたり。浜はまを見れば、播磨はりまの明石あかしの浜なりけり。大納言だいなごん、南海の浜に吹き寄せられたるにやあらむと思ひて、息づき臥ふしたまへり。船にある男をのこども、国くにに告つげたれども、国くにの司つかさまうでとぶらふにも、え起きあがりたまはで、船底ふなぞこに臥したまへり。松原に御おほん筵むしろ敷しきて、おろしたてまつる。その時にぞ、南海にあらざりけりと思ひて、からうじて起きあがりたまへるを見れば、風かぜいと重おもき人にて、腹はらいとふくれ、こなたかなたの目には、李すももを二つつけたるやうなり。これを見たてまつりてぞ、国くに
の司つかさも、ほほゑみたる。
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(口語訳)
派遣はけんした家来けらいは、大納言が夜も昼も待っていらっしゃるのに、年が越えても連絡してこない。大納言は待ち遠しくなって、たいそうこっそりと、舎人とねりただ二人を、召継めしつぎとして連れて、人目に立たぬ服装に身をやつし、難波なにわのあたりにいらっしゃって、お尋ねになることには、「大伴の大納言邸ていの家来が、船に乗って、龍たつを殺して、その頸くびにある玉を取ったとは聞かないかね」とお問あわせになると、船人ふなびとが答えて言うには、「ふしぎなお言葉ですぬ」と笑って、「そのようなことをする船はまったくありません」と答えると、大納言は、「ばかなことをいう船人だなあ、何も知らないであんなことを言っている」とお思いになって、「わしの弓の力からすれば、龍たつがいたら、さっと射い殺ころして、頸くびの玉を取ってしまえるだろう。おくれてやって来る家来けらいどもなど、待つまい」とおっしゃって、船に乗り、龍をさがしにあちこちの海をおまわりになるうちに、たいそう遠いことだが、筑紫つくしの方の海にまで漕こぎ出しなさった。
ところが、どうしたことか、疾風はやてが吹き出し、あたり一面暗くなって、船を翻弄ほんろうする。どちらの方角ともわからず、ただもう海の中に没入してしまうほどに船を吹き廻し、浪なみは幾度も船にうちかかって海中に巻まき入れんばかりになり、雷かみなりは落ちかかるようにひらめきかかるので、大納言だいなごんは当惑して、
「こんな苦しい目にあったことはまだない。どうなるのだ」とおっしゃる。
船頭が答えて申すには、「長い間、船に乗ってあちこち参りましたが、今までこんな苦しい目にあったことはありません。お船が海の底に沈没しなければ、雷が落ちかかってくるにちがいありません。万一、幸いに神の助けがあるならば、南海に吹かれて漂着ひょうちゃくなさるでしょう。情けない主人のおそばにお仕つかえ申し上げて、なんともいえぬほどこわい死に方をしなければならぬようですよ」と船頭が泣く。
大納言がこれを聞いて、おっしゃるには、「船に乗ったときは、船頭の申すことだけを、高き山のようにゆるぎなきものとして頼たよりにするものなのに、どうして、こんな頼りないことを申すのか」と青あお反吐へどはきつつおっしゃる。
船頭が答えて申し上げるには、「わたくしは神ではないのだから、どんなことをしてさしあげられましょうか。風吹き、浪激しく、そのうえ、雷まで頭の上に落ちかかるようなのは、ふつうではなく、龍を殺そうとして探していらっしゃるから、こうなっているのです。疾風はやても龍が吹かせているのです。はやく神様にお祈りをなさってくだされ」と言う。
大納言は、「それはよいことだ」とおっしゃって、「船頭がお祭りする神様、お聞きください。ばかばかしく心幼く龍を殺そうとわたくしは思ったことでした。今から後は、龍の毛一本すら動かしたてまつることはありますまい」と、請願せいがんの詞ことばを放はなって、立ったり、すわったり、泣きながら神様に呼びかけなさることを千度ほども、申し上げなさった。
その効果があったのだろうか、やっとのことで雷が鳴りやんだ。しかし、まだ少し光って、風はやはり早く吹いている。
船頭が言うには、「やはりこれは、龍のしわざであったのだ。いま吹いてきた風は、よい方向へ吹く風だ。悪い方向へ吹く風ではない。南海ではなく、よい方向へ向かって吹いているようだ」と言うが、大納言は、この言葉も耳にお入れにならない。
三、四日順風じゅんぷうが吹いて、船を陸地に吹き返し寄せた。船頭が浜を見ると、なんと、それは播磨はりまの明石あかしの海岸であったのである。
大納言だいなごんは、これは南海の浜に吹き寄せられたのであろうと思い、息もあらく、くたばっておられる。船に乗っていた家来けらいたちが国府こくふに告げたけれども、また、国司こくしの播磨はりまの守かみがお見舞いにやって来たのにも、起き上がることがお出来にならないで、船底ふなぞこに寝ていらっしゃる。
松原に御みむしろを敷しいて、船からおろし申し上げる、その時になって、やっと、「南海ではなかったのだよ」と思い、やっとのことで起き上がりなさったのを見ると、風病ふうびょうにひどくかかった人のようになり、腹はたいそうふくれ、こちらとあちらの目は、李すももを二つつけたようにまっ赤か
になっている。これを見申し上げて、国司も、さすがににやにやしている
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