その後、翁おきな・媼おうな、血ちの涙を流して惑まどへど、かひなし。あの書かき置おきし文ふみを読みて聞かせけれど、「なにせむにか命いのちを惜をしからむ。誰たがためにか。何事も用なし」とて、薬も食くはず。やがて起おきもあがらで、病やみ臥ふせり。
中将、人々を引ひき具ぐして帰り参りて、かぐや姫を、え戦たたかひとめずなりぬること、こまごまと奏そうす。薬くすりの壺つぼに御文ふみそへて参らす。ひろげて御覧じて、いとあはれがらせたまひて、物もきこしめさず。御遊あそびなどもなかりけり。大臣だいじん・上達部かんだちべを召めして、「いづれの山か天に近き」と問とはせたまふに、ある人奏す。「駿河するがの国にあるなる山なむ、この都も近く、天も近くはべる」と奏す。これを聞かせたまひて、
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帝『あふことも なみだにうかぶ 我わが身には 死なむ薬も 何なににかはせむ』 |
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かの奉たてまつる不死の薬壺くすりつぼに文ふみ具ぐして御おん使つかひに賜たまはす。勅使ちょくしには、つきのいはがさといふ人を召めして、駿河するがの国にあなる山の頂いただきに持もてつくべきよし仰おほせたまふ。峰みねにてすべきやう教へさせたまふ。御文、不死の薬の壺ならべて、火をつけて燃やすべきよし仰せたまふ。そのよしうけたまはりて、士つはものどもあまた具して山へのぼりけるよりなむ、その山を「ふじの山」とは名づける。その煙けむり
、いまだ雲の中なかへ立ちのぼるとぞ、いひ伝つた
へらる。 |
(口語訳)
その後、翁と媼おうなは血の涙を流し、思い乱れるけれど、どうにもしかたがない。かぐや姫が書き残した手紙を周囲の人たちが読んで聞かせるけれども、「なにをするために命を惜しむのだ、誰のために命を惜しむのだ。何事も意味がないのだ」と言って、薬も飲まない。そのまま起き上がることもなく病床に臥ふせっている。
中将は、翁の家に派遣された人々を引き連れて、内裏だいりに帰参きさんして、かぐや姫を戦いとめることが出来なかった趣おもむきを、こと細こまかく奏上そうじょうする。不死の薬が入った壺に、かぐや姫の手紙を付け加えて帝にさしあげる。
帝は、それをひろげ、ご覧になって、ひどくしみぃみとした気分になられ、なにもお食たべにならない。音楽の演奏などもなさらないのであった。大臣や上達部かんだちめを召めして、「どの山が天に近いか」と帝がお問になると、ある人が奏上する、「駿河するがの国くににあるといわれる山が、この都みたこからも近く、天にも近うございます」と奏上そうじょうする。帝はこれをお聞きになって、
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(かぐや姫にあうことも二度とないゆえにあふれ出るわが涙の中に浮かんでいるようなわが身にとっては、不死の薬など、何の役に立とうぞ) |
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かぐや姫の奉たてまつった不死の薬の壺に手紙をくわえて御使おんつかいにお渡しになる。勅使ちょくしには、調つきのいわがさという人をお呼びになって、駿河するがの国にあるという山の頂に持っていく旨むねをご命令になる。そして、その山頂でなすべき方法をお教えになる。お手紙と不死ふしの薬くすりの壺つぼをならべて、火をつけて燃やすべきであるとご命令になる。
その旨むねをうけたまわって、調つきのいわがさ士つわものどもをたくさん引き連れて山に登ったことから、この山を「士に富む山」、つまり「富士の山」と名づけたのである。そして、その不死の薬を焼く煙は、いまだに雲の中へ立ちのぼっていると、いい伝えている。 |
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