高 僧 伝  『 空  海 』
〜〜 無 限 を 生 き る 〜〜
著者:松永 有慶 発行所: 集英社 ヨリ
第三章 入 唐 求 法

(九) 帰 国 の 決 心 を 固 め る

さて、早く日本へ帰って密教を伝えろ、という師匠の命令もあって、日本へ帰る決心のついた空海ですが、留学僧として二十年の年限で中国に渡っていました。次の年に帰ることは約束違反であるし、第一、いくら帰ろうと思っても、その時に船がなければ帰れません。
ところがここに、絶好のチャンスが訪れました。空海が中国にいる間、中国はコ宗とうそう順宗じゅんそう憲宗けんそう と、皇帝が二代変わるという政変の時期でした。コ宗が亡くなって順宗が皇帝の位についたとき、お祝いを述べるために日本から遣唐使が派遣されました。順宗は体が弱く、遣唐使船が中国へ着くころには、すでに亡くなり、憲宗が皇位についていました。ですから、結局憲宗のお祝いに来た形になったのですが、この遣唐使船に乗って、空海は日本に帰ることが出来たのです。
空海と一緒に中国へ行った橘逸勢たちばなのはやなり という人がいます。この人は、平安時代に、空海や嵯峨天皇と並ぶ三筆の一人に数えられた書の名手ですが、中国へ行ったのは文学の勉強のためでした。ところが、語学がどうも十分に出来ないという事情もあって、この人もやはり二十年の滞在を切り上げて一緒に帰らせてもらおう、と空海に頼んで朝廷に嘆願書を書いてもらっています。
空海は延暦二十五年 (806) 三月下旬に長安を出発しまして、越州にきました。そこで空海は手に入れられる限りの文献を収集しています。経典、律、論、 、伝記、詩賦しふ碑銘ひめい 、卜医 (占星術、医薬にかんするもの) 、五明 (芸術関係のもの) まで集めています。このあたりから、空海という人物のレパートリーの広さというものがうかがえます。中国には仏教の勉強だけをしに行ったのではなく、自然科学、人文科学などのあらゆる分野を網羅する勉強をついでにしてきたのだということがこれでもよくわかります。
高僧伝C 『空海』 〜〜無限を生きる〜〜 著者:松永 有慶 発行所: 集英社 ヨリ