空 海 の 名 句 (抜 粋)
監修:山折哲雄 エッセイ:上山春平 解説文:正木 昇 『空海の世界』 佼成出版社 ヨリ


 

(其の二十五) 止 み ね 、 止 み ね 、


みね、 みね、
人間じんかん の味を用いず。
止乎、止乎、

不用人間味。
( 『空海僧都伝』 )

止めよ、止めよ、もう生命を保つための食物はいらない。

空海は、各種の伝承によると、自分の死を、その時刻まで予言していたらしい。それは承和二年 (835) 三月二十一日、寅の刻。六十二歳であった。
彼の死因については判然としないが、この年の正月から、空海は水分すら絶っていた。彼にもっと長生きして欲しい一念から、なんとか食物を取ってほしいと懇願した人に、答えた言葉が 「止乎、止乎、 不用人間味」 なのである。さらに言えば、空海は天長九年 (832) 十一月十二日から、穀物を一切取らなくなっていたともいう。これが真実とすれば、空海はミイラ化することで、即身成仏を果たそうとしていたとも受け取れる。このあたりが、空海は今も高野山の奥の院で肉体をとどめたまま、弥勒の到来を持ち続けているという 「にゅう じょう 」 伝説の根拠になっている。
『続日本後紀』 などの正史は空海が入滅し、その遺骸が間もなく荼毘だび に付されたと記している。また最近の研究は、空海の入定説が、その死後、約百年を経て広まっていった事実を究明している。すなわち、歴史学は空海の入定説を否定し去った。だが、空海の入定伝説がもつ宗教的意味を葬り去ったわけではない。
時代がずっと下がるが、江戸時代の中期から明治時代の前半にかけて、東北、山形県の出羽三山の一つ 殿どの さん 方面では、空海のあとを慕って、多くの僧侶が、自ら望んで五穀十穀を絶ち、即身成仏を遂げた。いわゆる 「即身仏」 である。彼らはごく身分が低く、あまつさ幾人かは人殺しさえ犯したほどの極悪人だった。その彼らが前非を悔い、出家の後は困窮する人々の救済に一身を捧げたのである。それもこれも、空海を慕う心から発している。空海の死にまつわる事実は事実として、考えさせられる出来事と言わざるを得ない。

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