丞(じょう) 相(しょう) 年(とし) を度(わた) って幾(いく) たびか楽(らく) 思(し) す 今(こん) 宵(しょう) 物(もの) に触(ふ) れて自(し) 然(ぜん) に悲(かな) し 声(こえ) は寒(さむ) し絡(らく) 緯(い) 風(かぜ) 吹(ふ) くの所(ところ) 葉(は) は落(お) つ梧(ご) 桐(どう) 雨(あめ) 打(う) つの時(とき) 君(きみ) は春(しゅん) 秋(じゅう) に富(と) み臣(しん) 漸(ようや) く老(お) ゆ 恩(おん) は涯岸(がいがん) 無(な) く報(むく) ゆること猶(な) お遅(おそ) し 知(し) らず此(こ) の意(こころ) 何(いずく) にか安(あん) 慰(い) せん 酒(さけ) を飲(の) み琴(こと) を聴(き) き又(また) 詩(し) を詠(えい) ず
丞相度年幾樂思 今宵觸物自然悲 聲寒絡緯風吹處 葉落梧桐雨打時 君富春秋臣漸老 恩無涯岸報猶遅 不知此意何安慰 飲酒聽琴又詠詩
(通 釈) 私 (道真) は右大臣の職を拝し、年月を送り、幾度となく楽しい思いもいたしてまいりましたが、なぜか、今宵は折にふれ物にふれて、そぞろに哀れを催し、こうした御宴に侍っておりましても、気が滅入るばかりで、心が晴れないのでございます。 吹く風の中より聞こえてくる虫に音は冷ややかに胸に染み、そぼ降る雨に桐の葉の舞い落ちるのを見るのは、たまらなく寂しいものであります。 さて、陛下はいかにもお若くあらせられますが、それにひきかえ、私はこのところめっきり年をとりまして、気の弱まりを感じます。 御恩のほどは涯しないほどに広く、果たして存命中にお報い出来ますかどうか、はなはだ心細い限りでございまして、この憂苦の胸中は晴らそうとしても晴らす術とてない有様であります。 白楽天は憂悶を遣るてだてとして、三つのものを挙げておりますが、私もそれにならい、酒を飲み、琴を弾き、詩を詠じ、もって自らを慰めんと思う次第でございます。