「そこまで、明りを持って、お供いたしましょう」 麻鳥は、松明
をともした。そして嶮けわ しい坂道を、先に立って照らして行く。その間、二人は黙々と、ただ岩づたいの足もとだけを見て歩いた。 すぐ下に、波が見えた、もうひと足で、渚なぎさ
である。 先に降りた郎党二人は、小舟を解いて、待ち受けているらしい。 「では、ここで・・・・」 麻鳥は、松明たいまつ
をかざし持ったまま、絶壁の肌をうしろに、別れを述べかける。── しかし、経正は、 「ああ、よい一日であったよ」 と、つぶやき、なお、この島を去りがてな容子だった。赤壁せきへき
の賦ふ が思い出される。そう言いたげな姿でいつまでも佇たたず
んでいた。 「のう、麻鳥どの。そこの渚は、経正には、地獄と極楽の境に見える。── 小舟に乗れば、もう、再びここを訪う日もあるまい。明日は、戦陣の身、思えば、今日ばかりが、天国であった」 「なぜ今日ばかりと仰せられず、明日も明後日も、生きる限りを、極楽とはなさらないのですか」
「今にして、そう思う。・・・・したが、身は武門に生まれ、いまさら、なんと気づいても、もう遅い」 「遅くはございますまい。かの西行法師とやらも。若くして北面の武士を捨て、今も、歌の旅を続けていると申しますし、権門けんもん
の醜みにく さを遁のが
れ、自然の中へ隠れた人も少なくはありません」 「それの出来ぬのが、武門の道だ。また一族のきずなと申すものよ。ことには今、一族みな、境外の乱に、兵馬を進め、内には、太政入道も世にない平家の傾きを眼に見ながらでは・・・・はははは」 沈痛な底から、不意に、彼はからからと笑い出した。自分の矛盾が、あまりにもはっきりと、意識に区分されたからである。──
いっても返らぬことを、大まじめで深刻そうに言っていた自分が、おかしくもなり、あわれにも見えたのだった。 「何せい、ただならぬ世ぞ、そちも、つつがなく暮せよ」 「では、どうしても、地獄の舟へ召されますか。あわれ、琵琶を抱けば、あのような優しき音色をかき鳴らし給うお人も」 「ぜひない宿業しゅくごう
」 経正は、小舟に乗った。 なぎさに残された松明は、小舟の陰が、暗い波間に隠れても、なお、泣いているような火のにじみを、いつまでもそこの渚なぎさ
に見せていた。 その夜、経正は、海津かいづ
の陣に帰ったが、しかし、先鋒せんぽう
の軍は、まだ膠着こうちゃく したままである。 次の日も、翌々日も。 ──
そしてようやく、前進しだしたときは、月も代って、四月に入っていた。 けれど、国ざかいの七里半越えで、野営をむすんだり、また愛発あらちく
の関で、二日ほど馬をとめたり、行軍は遅々ちちく
として、敦賀津つるがづ へ着いたのは、四日目の夕方だった。 「なんと、おびただしい兵馬」 これでは、先がつかえるのは無理はないと、経正も思った。 港も松原も、まるで平家町の観を呈している。住民の何倍という兵馬が一時に混み入ったのだ。そして、食糧の調達、運輸の手配、地方役人の奔走、物見の隊の出入りなど、その雑鬧ざっとう
は、絶え間なしに、揺れて見える。 経正が、この地へ入ると直ぐ、大将軍維盛これもり
、通盛みちもり の二人から、迎えが来た。 「お待ちしていた。すぐ今夕の軍議に会されよ」 という旨である。 案内の武者について行ってみると、松原とよぶ港一の景勝のの地に、庁でもない城砦じょうさい
でもない大きな建物が望まれた。 「あれは、たれの住居か」 と、案内の武者に訊き
くと、 「いえ、個人わたくし
のお館ではありませぬ。延喜えんぎ
、天慶てんぎょう のむかしから、渤海ぼっかい
の使節の来朝にそなえ、対応や宿所にあてられている外使の客館にございまする」 「オオ、では敦賀津の霽景楼さいけいろう
と申すは」 「されば、その霽景楼です」 「大将軍の御本陣は、あの内か」 「はっ」 「さても、美々びび
しい陣所かな」 経正でさえ、眼を見張った。 三層の高楼、庭園の林泉、すべて渤海の使臣を対応するためのものなので、あくまで、広壮こうそう
な建築である。 こよいの軍議は、ここで開かれるらしい。 けれど、かつての、富士川の夜陣のにがい経験もあるせいか、ここには脂粉しふん
の気はなかった。── 敦賀の津の遊女あそびめ
といえば、都でも名高いし、淫蕩いんとう
な港場といわれていたが、それらしい女は見えない。 しかし、酒は出ていた。そして、大将軍以下、副将の忠度ただのり
、清房、知度とものり 。また六名の侍大将たちも、ことごとく列座して、虹のような気を吐きあっている。 戦いくさ
は、すでに、勝ったかのようであった。 |