「いや、それは、経正殿の当惑も、無理ではない」 列座のひとり、薩摩守
忠度ただのり が、救いを出すように、向かい側の座から言った。 「じつは愛発あらち
の途中においては、はや、木曾勢の動きも察しられたゆえ、にわかに、兵を分けて、追分より椿坂、橡とち
ノ木峠へと、一軍を、別な道へ差し向けたのです。・・・・そのため、人馬の組み替えに、数日を要し、先の軍は、敦賀に入りながらも、後陣はずっと遅れたわけでした」 すると、維盛はなお、気色ばんで、 「はて、そのような計を、たれに謀はか
り、たれが許したか。維盛はまだ耳にもしておらぬが」 と、得心のゆかない顔をした。 「それは、こよい、わたくしよりお話申し上げるはずでした」 すぐ右の座にいた通盛みちもり
の言葉だった。 越前三位通盛も、維盛と同格の大将軍であった。だから彼には、その資格がある。 「ほ、越前殿のおさしずか」 「後日になってと、お気を悪くなされたろうが、じつは献策する者があって、諸将も同意と申すゆえ、愛発の追分にて、一軍を別な道へと、分け遣や
りました。詳しくは、後に、申し上げますが」 「献策とは。・・・・たれの?」 「あれにひかえておる老武者おいむしゃ
、斎藤別当さいとうべっとう 実盛さねもり
です」 「おう、実盛か」 はるか、末座の方に、その実盛は、具足の重さに挫ひし
がれているかの如く、背をまろく、すわっていた。 すこし耳が遠いのか、わが名を言われながら、その耳を疑うような顔して、まわりの顔を見まわした。列座の間から低い笑い声がわいた。 それも思わぬ愛嬌あいきょう
になった。はからず一同の空気が和み、維盛の面にも、笑え
くぼがのぼった。 またその維盛の笑くぼに気のついた人びとは、この大将の端麗な容儀に、みな、ひそかな愛憐あいれん
の情を抱いた。 かつて、院の賀宴で維盛が “青海波せいかいは
” を舞ったとき、人びとは 「平家はおろか、公卿中にも、たぐいなき美男」 とたたえ、当時、少将だったので 「桜梅おうばい
の少将」 と、呼んだほどである。 |