さきに。──
それはつい午 前後。 教経のりつね
は、いちど、果敢な敵前上陸を決行し、敵将義経はつい逸したが、佐藤継信以下の十数騎を射い
斃たお して、あざやかに、海上へ引き退の
いている。 もちろん、彼の方も、侍童の菊王丸をはじめ、かなりな死傷は出したが、この時の合戦は、双方互角の、相引きだったといってよい。 「まず、わしとしても、恥のない戦いはした」 と、彼の眉には悔いもなかった。颯爽さっそう
たる姿をもって、沖なる味方陣へ帰っていた。 そして、ひと息入れながら、陸くが
の方をながめていると、やがて源軍も、遠くへ退いて、浜には、旗も騎影きえい
も、見えなくなった。 「・・・・さて、このままでは」 教経は、不安を覚え出した。 いうまでもなく牟礼むれ
、古高松ふるたかまつ は、街道筋の宿駅である。伊予引き揚げの味方が近づくにつれ、旅人の口などから、ふと、その動きが、源軍の耳に伝わる公算は多分にある。 教経が、惧おそ
れたのは、それだった。 「事、未然に漏れては、義経を取り逃がそう。義経以下を、討ち尽すべき時は今だが・・・・ああ、覚さと
られたくないものだ」 祈るような気持で、のべつ、何かにせかれている彼だった。 で、彼は源軍の鉾ほこ
を、いかに海上へ引き付けるかに腐心した。しかし、まだ、明日も続く合戦とも考える。そうそう、息もつかず仕懸けてばかりはいられない。そのたび、無用な流血を将士に強し
いるのも心ない業に思われた。 「そうだ、よい思いつきなあるぞ。・・・・それよ」 彼は、一案を得、さっそく、宗盛や一門の人びとに、その案をはかってみた。 およそ、東国武者の、至上とするものは、弓矢の誇り、名誉ということである。
「名折れ」 とか 「恥」 とかを、一命にかけていやしむ。 教経は、そのことを語って、さて、人びとの座へ、 「一艘の小舟を飾って、それに、日の扇を高く掲げ、眉目みめ
よき女房ひとりを乗せて、これを射給うや源氏の人びと、源氏の内にも、まこと、弓取りのあるならば、この扇、見事射てみせ給え ── と告げやらば、必定、敵は物見高う磯いそ
にむらがり出て、われらの思うつぼに落ちようかと思われますが、どうでしょうか」 と、いう献策であったのだ。 宗盛らは、それを聞いて 「おもしろい」
と、まず興じかおだった。が、中にはまた、小首をかしげて、 「とは申せ、こなたの拵こしら
えに、もし源氏が乗って来なかったら?」 と、疑う者もないではない。 「いや、そのためには、小女房一名のほか、声高こわだか
な老武者を、もひとり乗せ、さんざんに、敵をののしってやりまする。敵は怒りましょう。そして、かならず、われこそと名乗る気負いの者が出て来るにちがいありませぬ」 「うむ、そうゆけばよいがの」 「ものは試し、どうなっても、味方には、不利にも名折れもありません。・・・・とこうして、今日一日が暮れて行けば、夜には夜の策も思いつきましょう。そして、明日一日だに、いまの形勢かたち
を保っておれば」 「それよ。明日さ越せば、勝ちはわがものだ。義経の運命も、風前のともし灯び
」 「そうです、扇の的も、兵法でいえば “紛まぎ
れ” の構えと申すものです。御得心なれば、美しき女房ひとり、小舟へお貸し給わりませ」 さて、一同の異存もなく、それは実行の段になったが、扇の的の下に立つ役を、たれに命じたものだろうか。もとより美女でなければなるまい。それの選抜は、情としても、やさしくない。 まちがえば、敵の一矢に、射殺されない限りもないのだ。武者はともあれ、教経の望むが如き麗人で、しかも、敵の矢前に、おののきもせず、笑顔で立っていられるような女性が、女房船の内に果たしているかどうかと、たれもいささか思い惑った。 |