そのあとで、人びとは、玉虫の心理を、しめやかに臆測
していた。 ── 玉虫には、恋人があったらしい、よ。 尼は、眼をうるませ、ふと、そんなつぶやきをもらした。 流亡の境涯であれ、戦陣の中であれ、多くの若い女性も交じっての、漂泊である。 長い月日には、恋も結ばれるのは当然だった。ひとり玉虫だけではない。 しかも、たれの恋も、その恋はつよいものだった。──
明け暮れの艱苦かんく をともにするというだけでも、お互いの燃焼は、いやまさるものなのに、彼らの恋は、つねに生死の明滅の中にあった。
「明日の命は」 と思いつつのはかないが強い抱擁ほうよう
なのだった。 若い命が長いものと信じきれず、たえまない恐怖とはかなさにおののきつつ、その若さを一瞬に燃やしきろうとする恋ほどおよそ熾烈しれつ
な恋はあるまい。 源氏は知らず、平家の陣中には、こうした恋が、繚乱りょうらん
とつつまれている。源氏は純粋な軍隊だが、平家は男女混合の大世帯を抱えた半軍隊といってよい。自然、内輪事もとかく多い。しかし、都と違い、ひそかに、隠し合っているだけのことだった。──
で、玉虫の身にも、それらしい日ごろの容子ようす
があったことは、尼も知っていたし、教経も知っていた。 知りつつも、それを、 ── 無理もなや。 と、よそ眼に許しているのがまた平家人へいけびと
であったのだろう。源氏のような、すでに軍律を持った軍隊ではない。西八条、六波羅などの花の館が、そのまま、都の外へ漂い出て、ただ自己を守る為に、戦い戦い、吟に化して来たに過ぎない。 「思い当たるふしもありまする」 ふと、尼がもらした玉虫の恋について、教経も、こう語った。 「──
今日の浜戦はまいくさ にては、味方も三十余名を亡うしな
いましたが、うち二十余名の亡骸なきがら
は、舟に収めて引き揚げました。ところが、死者の中に、日ごろ、玉虫と契ちぎ
っていた恋人の屍かばね もあったように思われまする。──
と申す仔細しさい は、屍を師僧たちの御堂船へ移すさい、べつな船の欄から、玉虫がのぞいておりました。その悲しげな黛まゆ
といったらありません、今も眼についているほどです。── が、この能登の姿を知ると、すぐ、船屋形へ隠れ、几帳とばり
の蔭で、身も世もなく泣いている容子でした。・・・・そのことは、尼公あまぎみ
にも、よそながら御存知だったと思いますが」 「・・・・おお」 尼も、わずかに、うなずいた。 そして、その屍かばね
となった彼女の恋人が、たれであったかも知っているふうであったが、尼も教経も、名は言わなかった。 ただ、人びとにも、すぐ解けたことは、すすんで源氏の矢前に立とうとする玉虫の心であった。──
恋人の後を追って、恋人の討死した場所で、しかも同じ日に死なん ── と望んでいるに違いないと考えられた。 やがてのこと ── 日の扇を掲かか
げた用意の小舟が、宗盛らの大将軍船の下へ漕こ
ぎ寄せられた。小舟の上からは、 「仰せ付けの支度なできまいた。召される女房は、どなたなるや、はや召されい」 と、しきりに、呼ばわる声がした。 その男は、伊賀の平内左衛門の弟、十郎兵衛じゅうろうびょうえ
家員いえかず という者だった。 多少、剽気者ひょうげもの
で、口達者であり、 「あれこそ、よからめ」 と名指されたのだが、当とう
の十郎兵衛は、むしろ得意そうであった。 小舟は、玉虫を乗せ、いよいよ、味方の船陣を離れて行く。十郎兵衛家員いえかず
は、白木の薙刀なぎなた をかい持って、舞ってみせたり、冗談を言ったりして、朋輩たちを笑わせた。──
が、玉虫は、扇の下に、さすが悄然しょうぜん
とその姿をたたずませ、味方のすべての顔へ、無言の別れを告げているふうであった。 「あな、あわれ」 と、その玉虫を見るもあり、また、 「美しい、つねよりも、また美しい」 と、別な意味で、嘆たん
をもらす者もあった。 しかし、多くの軍兵は 「すわ、見ものぞ」 と、これに歓送の手を振った。そして 「果たして、源氏が扇を射るか、射損じるか。益ない業わざ
と逃げて、十郎兵衛家員いえかず
に、口汚くののしられるか。いずれにしても、見ものぞ、聞きものぞ」 とはやしあった。 宗盛たち上将も、自然、興に唆そそ
られてきたきたものだろう。── やがて、お座船、大将軍船をはじめ、諸船もろふね
の影すべて、徐々に沖の陣をそのまま押し進め、小さい日の扇の影を追って、陸くが
との距離をちぢめて行った。 |