「この能登
の命も待たずに、牟礼むれ の岸へ上がり、喚おめ
き戦うているのはだれだ」 「悪七兵衛景清。そのほかの、気負い者かと思われますが」 「しゃつ、痴し
れ者もの 」 と、教経は、舌打ちして、 「胆太きもぶと
にもほどがある。あれしきの小勢にて、源氏の前へ駆け上がらば、命を捨てに行くようなもの」 一艘の上から、眼をすまして、彼は、すでに薄暮の色の陸を見ていた。 彼の胸底にある戦略からも、日いっぱい敵を戦いに疲らし、敵に一顧いっこ
のひまも与えてはいけないのだ。 で、扇の的の一策がすむと、すぐ次の懸かか
りの手を、胸に案じていたのである。 そのためには、悪七兵衛の無謀な突入も、決して無意味ではなかった。むしろ、よかったとも思われる。けれど、見殺しには出来ない。彼は令を下し、徐々に船列を近づけつつあった。──
そして今、陸おか の悪七兵衛たちが、薙刀の先に錣しころ
を突っかけて、打ち振り打ち振り、笑ったとたんに、源氏の軍勢は、彼らへ向かって、どっと、襲いかかる気配を見せた。 ── と察しるやいな、教経は、 「悪七兵衛を討たすな。景清を助けよ。小舟の兵は、汀なぎさ
へ突っ込んで駆け上がれ」 と、きびしく、叫んだ。 大船の上に立ち並んだ甲冑かっちゅう
の列は、弓弦ゆんづる をそろえて、一せいに矢を敵へ射込んだ。 味方の矢道をかいくぐって、平軍の兵三百は岸へ駆け上がった。平家は、ほとんど徒歩立かちだ
ち、源氏はことごとく騎馬。凄愴せいそう
な薄暮の接戦がここに起こった。 もとより騎兵と歩兵とでは、そのぶの悪いこと比較にならない。しかし、覚悟のまえである。船上の味方は鼓こ
を鳴らして励ましている。平軍は、悪条件を克服してよく死闘した。粘りに粘った。馬の下に伏したり、馬蹄ばてい
の間をかいくぐって敵の脚を取って不意に引き摺り下ろすなど、かつてない苦戦をやった。 けれどそれも、極めて短い時間だった。 教経の腹は、 「いま勝たん」
とするにあるのではない。敵の皆殺しは、二日後にある。味方の多くを傷つけたくないのだ。鼓手こしゅ
はたちまち 「── 退け」 の合図を告げた。 が、退軍はやさしくない。 自然、乗り合うので、船と船とはからみ合い、大きく傾かし
いだり、櫓ろ を外はず
したり、岸を離れるにさえ、さんざんだった。 その間に、追っかけ、追っかけ、猛然と、東国勢は、汀の際までやって来た。期せずして、長い横隊おうたい
となった馬蹄ばてい の下から、全面的に、ばっと、真っ白な潮けむりが立った。 「潮うしお
も何かは」 その中に、義経の声があって、 「ここは、遠くまで浅瀬ぞ。馬の太腹ふとばら
まで、乗り入れよ。逃げ腰の敵を、撃ち余すな」 と、指揮していた。 せっかく、舟へ跳び乗ったのに、馬群には追いまわされ、その馬上からは狙ねら
い撃ちに射られて、またも岸へ逃げあがって行く平軍の兵も多かった。 「すわ、難儀」 と、教経は身ぶるいした。船底が砂を噛か
むまで、一段と、大船すべてを近づけてゆき、夕波を泳ぎまわる海豚いるか
の群れにも似る敵の影を拾って、自分も矢つぎ早に、弓を引き絞った。 射つつ、矢つがえしつつ、教経は味方の舟へ、 「熊手くまで
を持て、熊手を持て。── 熊手や薙鎌なぎがま
を以って、近寄る敵を、引っ掛けよ」 と、下知げち
していた。 |