何思ったか、義経は床几
を離れて、自身、彼の縄目なわめ
を解いてやった。 そして、驚きの眼で見ていた弁慶の姿へ向かって、 「成敗は、わしがしよう。そちは次の幕とばり
へ退がっていよ」 と、命じた。 不安にたえないかのような弁慶の容子だったが、不服面ふふくづら
を暗黙に見せながらも、すぐ、外へ立って行った。 しかし、弁慶はなおそっと、幕とばり
の外に佇んでいた。 「もし、殿へ危害を加え奉らば・・・・」 と、いつでも跳び込んで行く身構えを持って、息をころしていたのである。 ところが。しばらくたつと、へんな泣き声がもれてきた。鼻つまらせて、何か言っているのは桜間ノ介にちがいない。義経に、諄々じゅんじゅん
と何事かを説かれて、一徹な武者骨と、偏狭へんきょう
な忠誠の考え方に、大きな心の雪崩なだれ
を起こしたことであろうか。彼の言葉が終わった後も、切せつ
なげな嗚咽おえつ はなお絶えなかった。 このときから、桜間さくらま
ノ介すけ 能遠よしとお
は、義経に服して、源軍の中の一人となった。 平家を捨てて降伏したのだ。 といっても、彼の降伏は、おなじ阿波の近藤六のした降伏などとは、意味も仕方も違っている。 安西あんざい
の近藤六は、源軍の阿波上陸に会うと、すぐ降こう
を乞い、屋島への道案内まで勤めて来たのだが、桜間ノ介は、さいごまで、武者の面目を、捨ててはいない。 敗れた舘たち
をうしろに、山越えで屋島へ逃げて来たのも、屋島の人びとと一つになって、あくまで戦う心だったのだ。 しかし、彼の誠実と、武者魂は、その朝。うろたえの絶頂にあった総大将の宗盛には、一顧の値打ちもないものの如くあしらわれた。 そればかりでなく
「── 桜間の舘を、名もなき雑兵軍に破られ、その不首尾を、態よくいいつくろうため、わざと、源氏の軍勢を、仰山に告げて来たのであろう」 と、諸将もいる中で、ひどく面罵めんば
されたのだった。恥を忍んで、落ちのびて来た行為を、命惜しさに逃げてきたもののように、言われたのである。 そのとき、すでに、桜間ノ介は 「あわれ、こんな総領の下では、平家の御運もこれまでだろう」
と、痛感した。思ったばかりでなく、口に出して、宗盛にそのまま言い返したのである。そして、 ── 二度とお目にかかるまい。 と、まで言い放って、屋島の外へ出てしまった。 それでも、彼はなお、源氏に降る気持などは毛頭なかった。 すきを見て、義経に近づき、義経を殺して、桜間ノ舘に不覚をそそぎ、宗盛や味方の平家一同へも
「これ見たか」 と、見返してやりたい一心だったのである。 だか今、桜間ノ介は、その愚ぐ
をさとった。 しょせんは亡ぶ運命の平家と思うならば、なぜ、その平家の中にある科とが
なき幼帝をはじめ、あわれむべき幾多の人たちを救うべく身を捨てて働かないのか。 そう、義経に、理をわけて、説かれたからであった。 また、こうも言われたのである。
「── それこそ、まことの平家のためというものではないか。真の忠誠を、平家に捧げようと思うなら、身一つの名誉不名誉などが、なんであろう」 と。 桜間ノ介は、豁然かつぜん
と、 ── そうだ。 と、腹の底から気がついた。とたんに、彼は見得もなく、男泣きに泣いてしまったのである。 そして彼の慟哭どうこく
は、つい意外な秘密を、その口からもらした。── それは義経もまだつゆほども気づかずにいた機密であり、それを聞いた刹那、義経の眉は、驚愕きょうがく
に打たれてような色を見せた。 それほどな機密とは、いったいなんであったのか。 余りにも、重大なため、義経は、すぐそれを、ほかの将へも語らなかった。 そして、ふたたび、弁慶を呼び入れ、 「・・・・まだ、夜明けには、ちと間もある。桜間ノ介を伴うて、次の幕とばり
の隅に、塒ねぐら を与えよ。そして、義経が一同へ語るまでは、こよいのことは、味方といえど、ゆめ、口外すな」 と、口どめした。 弁慶は、聞くともなく、あらましを、蔭で聞いていた。もう、桜間ノ介への憎悪はない。むしろ宥いたわ
りさえ見せて、黙々と彼を後ろに連れ、ほかの幕とばり
のうちへかくれた。 |