海は、夜とともに、いつもの海の相
に返っていた。 終日ひねもす
の矢響きや鬨とき の声もどこかへ消え、渺びょう
とした夜のしずけさが、嘘うそ
のように思われる。 ひとしきり、牟礼むれ
から引き揚げて来た兵船の櫓叫ろたけ
びやら船上のわめき声もしていたが、やがてそれもその夜の海にのまれて、あとは櫓そ
の音一つするでもない。 風もなく、波もなかった。 ただわずかに、冷やかな微風に刻きざ
まれてくる綾波あやなみ が、三百余艘のふなべりに、だぶり、だびり、眠たげな諧調かいちょう
をくりかえしてい、そして、唐船からぶね
の灯は、螢籠ほたるかご のように戦そよ
ぎ、兵船の灯は、不知火しらぬい
にも紛まご う明滅を、波間にちりばめているだけだった。 「・・・・・ああ、今日はなんたる悪日あくび
であったろう」 宗盛は、つぶやいた。屋形船の柱にもたれ、身も心も疲れ果てたような姿である。 彼の坐乗しているそれは、みかどの御座船に次いでの巨艦おおふね
だった。 とうに宵過ぎていたが、彼すらつい今し方、夜の兵糧もの
を食べたばかりなのだ。 「そうだ・・・・やがて、軍議を開きたいと、能登守のとのかみ
から申し入れが来たが、今の内に、みかどのお病気いたずき
をも、ちょっと、お見舞い申し上げておかねばなるまい」 彼は、首を出して、胴どう
ノ間ま の武者だまりへ、 「誰た
ぞある、小早舟こばや の用意を」 と、そこから命じた。 そして、修理大夫しゅりのたいふ
経盛つねもり を誘おうと思って、 「修理どのも、一しょに行かぬか。御座船を、お見舞いに」 と、声をかけた。 返辞がないので、よくよく見ると、経盛は、ほの暗い片隅に、頬杖ほおづえ
ついて、居眠っていた。 「さても修理どのは、よくよく長生きの性しょう
とみゆる。うらやましいお気楽さではある」 もちろん、愉快な語気ではなく、腹立たしさの余りといった調子で、そう言い捨てたまま、出て行った。 「・・・・・・」 経盛は、うす眼をあき、宗盛の後ろ姿を、そっと見ていた。そしてまた、眠る如く、眠らざる如く、頬杖に眼をとじていた。 宗盛は、彼の姿を
「お気楽な」 と、いやみを言ったが、しかしそうしている老経盛 ── 子の三人までを戦場で亡な
くしつつ、なお一門にひかれてここにある孤父経盛が ── ほんとにお気楽か、やがて、せかせかと小舟へ移って行った宗盛の方がおき楽か、それは、いずれとも言い切れそうもない。 |