〜 〜 『 寅 の 読 書 室 Part U-]』 〜 〜
── 新 ・ 平 家 物 語 (十三) ──
浮
(
うき
)
巣
(
す
)
の 巻
2014/03/30 (日)
教
(
のり
)
経
(
つね
)
・
哭
(
な
)
き
嘲
(
わら
)
い (一)
「御用心あれ、平家は、志度へまわりましたぞ」
「志度ノ浦より、やがて総勢を上げんとする様子」
「はや五剣山へ物見を登せ、こなたをうかがっておりますぞ。御油断あるな」
急を告げる遠見の兵たちは、すでにきれいな朝空となった八栗の一峰を指しながら、口々に叫んだ。
義経がそれを耳にしたのは、桜間ノ介を西へ送ってから、小半刻 (約一時間) の後だった。
彼は、今さら驚きもせず、
「── さも、そうず」
と、うなずいたのみである。
自分が敵側に立って指揮に当れば、やはりそうするだろyと思う。
この
雨龍
(
うりゅう
)
ノ
岡
(
おか
)
を真ん中に見、田口勢三千の呼応を待って、東西から攻め囲もうとするならば、海上の軍は志度へ
迂回
(
うかい
)
させておき、まず包囲態勢を完全にしておくのが常道である。
ひそかに、彼は感じた。 「平家の大将とて、兵法に
晦
(
くら
)
い者ばかりではない」 と、そしてまた 「── それにつけても、昨夜のうち、夜討を仕懸けて来なかったのは、どうしたものか。それこそ彼らの大不覚だが、源氏にとっては、なんたる
天佑
(
てんゆう
)
だったろうか」 と。
けれど、果たして天運が、源氏に幸いするか否かは、まだ決定したわけではない。
桜間ノ介の使命が、首尾よくゆくかどうかに懸かっている。
もし、それが不成功に終わった場合は。
将として、そこまでの最悪も、義経は考えずにいられない。しょせん、ひと支えも困難だろう。枕を並べて討死か。ちりぢりに、山岳地帯へ逃げ込むしかあるまいと思う。
「ここ半日に、全軍の運命は決まる」
彼は、何かの
権化
(
ごんげ
)
みたいに、きっと、志度方面の地形を見ていたが、
「庄ノ太郎家永やある」
と、まず呼びたて、
「──
水尾谷
(
みおのや
)
十郎
(
じゅうろう
)
まいれ、熊谷直実、横山太郎、
椎名
(
しいな
)
胤平
(
たねひら
)
、江田源三も」
と、つづいて名をあげ、
「おのおのは、手勢三、四十騎ずつ引っさげて、志度ノ浜へ駈け向かえ。敵、船より上がらば、一せいに攻め、もしまた、敵が
陸
(
くが
)
を押して、この
雨龍
(
うりゅう
)
へ寄する気色なれば、敵の
背後
(
うしろ
)
をとって、ただ物々しく
鬨
(
とき
)
の声を作りつつ、あとを
尾
(
つ
)
けよ。── この雨龍と五剣山の上よりも
諸声
(
もろごえ
)
合わせて、平家を山すその一箇所に、袋づつみにせんの形を示さん」
と、計をさずけた。
「心得て候う」
とばかり、諸将はすぐ、ばくばくたる地鳴りを起こして、東の方へ駆け去った。
著:吉川 英治 発行所:株式会社講談社 ヨリ
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