〜 〜 『 寅 の 読 書 室 Part U-]』 〜 〜
── 新 ・ 平 家 物 語 (十三) ──
浮
(
うき
)
巣
(
す
)
の 巻
2014/03/30 (日)
教
(
のり
)
経
(
つね
)
・
哭
(
な
)
き
嘲
(
わら
)
い (二)
義経は、また、
「かなたの峰を、五剣山というか。── 平家の兵どもが、頂を占めて、誇らしげに、こなたをながめておるこそ眼ざわりなれ、たれにてもよし、あの敵を追い落として、峰の上を、わが手に奪い取る者はないか」
と、言った。
声の下に、片岡為春、武蔵坊弁慶、佐藤忠信などの近習組が、
「それがし、馳せ参りましょうず」
「いや、それがしに」
と、こぞって起った。
「さは、多いぞ」
義経は、弁慶以下三十人ほどを、その方面へさし向けて、しばらく、戦の展開を遠望していた。
まもなく、弁慶たちは、五剣山とその東の小高地から、敵の小隊を追い退けたらしい。しかし、刻々と、二十一日の陽は高くなった。
ここの本陣には、今やわずか五、六十騎しか残っていない。副将の
田代冠者
(
たしろのかじゃ
)
は、心ぼそげに見える。義経にも確信はなかった。ひたすら、桜間ノ介と
田口
(
たぐち
)
教能
(
のりよし
)
の会見いかに? ── と、その
吉
(
きつ
)
左右
(
そう
)
のみが待たれていた。
目的は、逆だが、おなじ刻々な思いは、平家方の総領宗盛や、能登守教経に胸にもあったに違いない。
「伊予からの味方は、どこまで来つるか」
「
田口
(
たぐち
)
教能
(
のりよし
)
らは、今朝、どの辺に着いたるか」
と、西の空を望んでは、首を長くしあっていた。
従って、昨日のように今日も、
一挙
(
いっきょ
)
に兵を
上陸
(
あげ
)
る様子はない。
まず、二百騎ほどを浜にあげ、百騎、また百騎と、およそ五、六百人を徐々に上陸させて来た。
しかし、平家方には充分、期して待つ理由があったから、やがて続々、
後詰
(
ごづめ
)
の軍をあげても、単に威圧を示すだけで深く前進しては来なかった。また、源氏の方でも、義経の命があるので、捨て身の血戦とまでは出ず、追っつ追われつ、いわば
小競
(
こぜ
)
り合いに時を移し、そのほかは、ただ
矢戦
(
やいくさ
)
に過ぎていた。
著:吉川 英治 発行所:株式会社講談社 ヨリ
Next