桜間ノ介が、甥
の教能を、どう説いたかは、察しるに難くない。── 今日となっては、しょせん、衰亡一途のほかない平家であり、時も時代の転換に来ていること。そして、一門の総領宗盛の頼むに足らないことをも、第一に言ったであろう。 だが、武門のならいは、あくまで恩顧の主家に殉じるのが、美しいとされていら。裏切り行為は、人非人の所業しょぎょう
と唾棄だき される。 おそらく、叔父甥ふたりの間で、容易に一致を見なかったのは、その問題であったろう。桜間ノ介も、自分という一個の名や執着を突き放して、大きな生きがいを他に見つけるまでは、苦悶に苦悶したことだった。──
けれど、ほんとの平家のためとは、いま死ぬことではない。後々にも、平家の為に身を捨ててすることはたくさんある。平家の輩ともがら
がみな死んで、たれが、あとの行く末を見守ってゆくだろうか。 たとえば。 幼いみかど、建礼門院、そのほか、罪もないあまたな男女を。 その中には、桜間ノ介の実兄、教能のりよし
にとっては父の阿波民部重能もいるではないか。 長門の彦島に、権中納言知盛とともにたてこもっているではないか。 ── それや、これ、切々せつせつ
と桜間ノ介は真情込めて説いた。果ては、涙になり、涙がふたりの溶けない意志を一つに溶かしたと言っても言い過ぎではない。ついに教能のりよしは、叔父の言葉に従って、平家を離れ、即座に、ここで軍を解くことを承知したのであった。 だが、それをここで言い渡したら、おそらく、一波瀾ひとはらん
はまぬがれ得まい。 それも非常な危惧きぐ
だった。まかりまちがえば、血で血を洗う同士打ちにもなりかね得ないからである。 「・・・・一同、ここへ寄ってくれ」 やがて、教能から、旨を伝えた。 桜間ノ介もともに、事の次第を、諄々じゅんじゅん
と話した。理をわけ、誠意を込めて、一同を説いた。そして、 「もし、不服の者は、おのおの存念どおり、ただちに、志度へ馳せつけるもよし、海遠く越えて、長門の彦島へ落ち行くもよい。──
もたもし、たちどころに、合戦を望むなれば、おたがい、なんの憎悪のある仲ではなけれど、それもぜひなし、弓矢をもって、答えよう」 と、告げ渡した。 もちろん、大勢の中からは怒号も聞こえ、怒りたぎる色は濃かった。しかし、
「ああ、ぜひなし」 と早くも弓を投げんばかりな嘆声だの 「田口殿や桜間殿のお心にまかせん」 という声は、圧倒的に多かった。 ひとたび、ある執念しゅうねん
から解かれれば、もののふといえ、腹から戦いの修羅しゅら
を好んでいた者はない。 こうして、意志の自由が与えられ、また即座に 「軍を解く ──」 ことが宣言されると、たちまち、全軍の半数以上の将士は、 「平家に帰るも心憂う
し、源氏につくも快こころよ からず」 と口々に言いながら、その集団の中に、馬匹兵糧ひょうろう
なども持って、はるかなる南方の空の壁 ── 阿讃あさん
山脈の奥深い山ふところへ向かって ── 一朶いちだ
の雲か霞かすみ のように、世を捨てて隠れてしまった。 |