マルチェンコ見習士官の白旗を目撃したのは、日本軍の第一師団の歩兵第二連隊の最前線の兵である。 ──
降伏。 とは、たれも思わなかった。日本軍の前線の実感としては旅順要塞の戦闘力は依然として強靭であるように思えたのである。ロシア側が白旗を掲げて軍使をよこして来ることはしばしばあった。死体収容に関する件や、旅順市街に飛んで来る日本軍砲弾が病院にしばしば命中する、なんとかならぬか、といったたぐいの用件であった。 ともあれ、歩兵第二連隊では将校を送ってマルチェンコのもとにやることにした。その場所は日本軍の地理的な呼び方で言えば、 「水師営南方C堡塁前」 ということになる。このC堡塁は、この時期日本軍の占領するところとなっていた。 その報告を高崎山にある第一師団司令部が受取り、すぐさま師団参謀が柳樹房の乃木軍司令部に電話をした。 電話口に出たのは、軍参謀の白井二郎中佐であった。 「どういう信書だ?」 「軍司令官宛てのものだ」 と、第一師団参謀が言ったとき、白井中佐は、 (降伏だ) と、直感した。 が、こういう場合の軍人心理はおもしろい。 ──
それは開城のための軍使ではないか。 と言おうとしたが、それが口から出ることを懸命におさえた。日本軍側も、じつは攻撃でへとへとになっており、軍司令部は第一線を督励してずいぶん無理をさせている。 この場合、そういうあいまいな観測を言えば、軍参謀としてなにか腰が抜けているように思われるのがいやさに、ことさらに冷静な声で、 「では、当方へ送ってくれ」 と言った。が、あわててつけ加えた。 「直接こちらへ伝騎をもって送ってくれ」 と言ったが、なにぶん前線の第一師団の方はそれほどの重大な軍使だとは思っていないため、 「いや、まだ当師団司令部としては第二連隊から電話で聞いただけでその文書を見ていないのだ」 と、いうのである。 「じゃ、師団司令部にとどき次第、電騎をもって軍司令部に届ける」 と、第一師団参謀は言った。なにしろ前線のC堡塁から師団司令部のある高崎山まで四キロある。そのあいだを歩哨の逓伝
(順送り) で師団司令部へ送って来るのである。 高崎山に着くまでに三時間はたっぷりかかった。 その高崎山の第一師団司令部から、後方の柳樹房の乃木軍司令部まで十キロ以上ある。 ここまで全軍が前進している時に、軍司令部は、なおも柳樹房の後方にありつづけているため時間がやたらとかかった。 この重大な文書が乃木軍司令部に着いたのは午後八時ごろである。 白井中佐が受取り、彼はみずからの手でハサミを入れた。手がふるえるほどに緊張した。 |