~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅴ-Ⅴ』 ~ ~
 
==項 羽 と 劉 邦==
著者:司馬 遼太郎
発行所:㈱ 新 潮 社
 
始皇帝の帰還 (二)
皇帝一個が、中間勢力なしに宇内うだいのすべての人間──中国の人口は五千万と想像される──に対しているというのは、自信家の始皇帝にとっても多少の不安と肌寒さがあった。ただ彼は組織でうずめようとせず、装飾でうずめようとした。自分一個の存在を厳重に装飾し、いやがうえにも絶対である事を見せようとした。彼は皇帝という称号もつくったが、彼のみが用いる一人称も制定した。
自分のことを、
ちん
と呼んだ。一人称を専有したのである。
さらには、皇帝が中国のすみずみに行くために専用道路をつくったのも、ただ一人の存在としての装飾のために重要であった。彼がとうほうもない道路網をつくったのは、ほぼ同時代にローマ世界での軍用道路が完成されている事と無縁でないかも知れない。東西の間に正規の交通はなかったが、あるいは噂だけが伝わって彼の発想が成立したのかと思える。その舗装はローマ道路ほどの重厚さを持っていないにしても、いしころを敷きつめ、その一つづつを路面に叩き込むという入念な工事だった。礫の一つ一つは、人夫が地面にしゃがみこんで小さなつちで一つずつ打ち込んでゆくというものであり、その苦労とこの道路網の長大さとを思い合わせると、そこに動員された人夫の数がどれほどぼう大なものであったかが想像される。
ただ一人が、億兆の人間を所有している」
という彼の権力思想は、具体的には無数の人間をそれらの郷村から追い出して土工にしてしまうということでもあった。そのほか、ごく些細な理由で多数の人間を虐殺してみせるということにおいても示された。たとえば、ある時隕石いんせきが落ちた。その隕石に始皇帝にとって不吉な文字が書かれていたために、彼は犯人を調べさせた。が、ついにわからず、このため彼はその隕石が落ちた付近の人間をことごとく殺してしまった。
「殺せ」
と、勅命を下すだけで、その役人たちは殺す。べつに彼にとって暴虐という意識はない。
「皇帝というのは、こういうことが出来る存在なのだ」」
と、彼は思っていた。
かつてのせい王やえん王、王といったふるぼけた貴族権力とはまったく違っている、ということを、彼は事実をもって示さねばならず、言いかえればただ一人でもって億兆の人間どもにむかっているにはこういう権力の示威の仕方しかないとはらえてかかっているようでもあった。
これらの虐殺は、彼の他の統一事業と、基本の思想として一つのものであった。それまで文字が地域のよって異同があったが、彼はそれらの多くを捨て、整理し、漢民族の使う文字を一種類にした。度量衡どりょうこうすも地域によってまちまちであったのを、一つのものにした。まことに皇帝は多忙であった。
2019/11/04
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